サイエンス オブ ヨガ - 「ヨガとガン」 Lara Benusis 先生のトレーニングを受けて

8月半ば、東京にて3日間、

ヨガとがんについて学ぶトレーニングを受講してきました。

 

講師は、仕事仲間、そして友達でもある、

New York在住の、Lara Benusis先生。

 

Laraとは、2011年から一緒に仕事をしていて、

気の合う友達でもあり、

毎年最低1回は会って、

名古屋のスタジオヨギーさんにて、

彼女の通訳をしている。

 

今回は、はじめてLaraの生徒となり、

3日間、多くを学ぶことができました。

 

LaraはNYのMemorial Sloan Kettering Cancer Centerにて、

医療チームの一員となり、

ヨガの科学的な効果を、

統計を取ったりしながら研究する仕事に携わっていました。

 

病院からはヨガの処方箋のようなものが出て、

がん患者さんの病室へ行って、ヨガを行ったりもしてます。

 

3日間のトレーニングの後は名古屋でも同じテーマの短縮版のクラスが開催され、

そのクラスでは、通訳をさせて頂きました。

 

具体的な内容は、多くをここに書けませんが、

(繊細なテーマでもあるため)・・・

 

でも、一番、大切だとLaraが協調していたのは、

 

ヨガを、「補完医療」として活用することであり、

ヨガは、「代替治療」ではない、ということでした。

 

近代の西洋医学を補うものとして、ということです。

それに、取って代わるものでは、あるべきではない。

 

もちろん、そうなのです。

だけど、そうであることを、忘れてしまっている人が、結構、いたりする。

 

だから、そういった間違ったメッセージを、伝えてしまわないように、

自分がまず、気を付けないといけないなと、痛感させられました。

 

 

Lara Benusisについては、以下のリンクを(英語だけど)。

 

What are the benefits of exercise during and after cancer treatment?

 

 

at 21:49, shakti-mandir, 4. ヨガの効果 / Benefit from Yoga

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日本の映画

最近、日本の映画を観る機会が、2度ありました。

 

1回目は、飛行機の中で、「君の名は」という、アニメを。

知り合いが見て、号泣したって言ってた。

 

ひとりで飛行機の中で、私も何度か、泣いた。

 

主人公の二人の若者の男女の心が、

時空を超えて、入れ替わる、と言う内容だった。

 

その二人は、お互いに好意を持っているようなんだけれど、

それは、「好意」以上に、

お互いが存在するからこそ、自分が存在できる、みたいな。。。

主人公の男の子と女の子、それぞれの中に、

それぞれの、「自我」がないって感じるくらい・・・。

 

相手によって、自分が、完全になる・・・、みたいな。

 

だから、自分のもう片一方を見つけた時、

「完全になった」ような、気持ちがする。

やっとお互いを見つけ、やっと、完全になれたね。

すれ違いも多かったけど・・・。

こういうところで、みんなが泣くのです。

 

すごく、女性的(母性的)な映画。

 

父性によって、切られ、

「自立」して生きていく、というような、

男性的な要素が、あまり感じられなかった・・・。

 

 

それから最近観たのは、「君の膵臓を食べたい」、という映画。

これも、知り合いが号泣したって言っていた。

 

号泣したって聞くと、行ってみたくなる。

私も、お決まりのところで、涙ポロポロ。

 

主人公の男の子と、病気を抱える女の子の友情ストーリーなのだけど、

この映画も、

まるでこの二人は、それぞれの人格がないようだった。

 

特に男の子は、女の子を通してしか、何の決断もできない。

・・・やっぱり、自分の自我が、ないようなのです。

 

その男の子が大人になってからも、

色々な決断を、

その、女の子の言動によってしか、

起こせない。

 

なんで、悲しいのかというと、

もちろん、病とか、色々、悲しくなる設定があるんだけど、

 

それよりも、ここでも、

「自分の片割れの不在」、によって、

自分自身が、なくなってしまうことが、悲しい。

 

相手がいたからこそ、自分が生きていた。

自分がいたからこそ、相手が生きられた。

 

「誰かを通して、人生を生きている」。

そういう、メッセージが、

この映画も、とっても強かった。

 

 

河合隼雄先生が、

「日本人には、自我がない」って、書いています。

 

日本人の自我は、「集団社会」の中にある。

「個人」の中には、ない。

 

西洋の自我は、「個人」の中にある。

西洋の物語は、

勇敢な英雄が出てきて、

戦いに挑み、

お姫様を助ける、というようなストーリーが多い。

 

その戦いが、イニシエーションで、

その戦いによって、自我を確立させ、

欲しいものを、獲得する。

 

そういう、

なんか、パワーが湧いてくるストーリーは、

父性的で、

切られるものは切られ、

最終的に、個として自立させるところへ、導かれていく。

 

 

今回見た、日本の映画はふたつとも、

鑑賞後、パワーはまったく出なかったけど、

私たち、ひとりで生きてるんじゃないんだよね・・・って

 

生きてるっていうよりも、

生かされているんだよね・・・と、

 

感傷的になった。

 

とても、優しく母性的で、

だけど自分の中に、

確固とした、軸、みたいなものは、

まったく感じられない・・・

感じちゃいけない・・・。

 

嗚呼、めちゃくちゃ顕著に日本的な、

映画を見せてもらいました。

 

at 19:00, shakti-mandir, ★ プライベート / Private ★

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カルマ

「カルマ」と聞くと、

何かちょっと、怖い感じがするかもしれませんが、

「カルマ」というサンスクリット語は、

「行動」という意味で、

何も恐ろしいことでは、ありません。

 

ではなぜ、カルマに怖いイメージがあるかと言うと、

「自分が起こした行動には、”結果が伴う”」という、

因果応報、「カルマの法則」という考え方が、あるからでしょう。

 

例えば、

悪い行いをすると、その結果、悪いことが必ず自分に返って来る、というような・・・。

または、良いことをすれば、良いことが、自分に返って来るよ、みたいな。

 

人は、生きている間に、

多くの行動(カルマ)を起こすので、

カルマの法則に従えば、

その結果がすべて、自分に返ってくるはずなんだけど・・・。

 

行動を起こしても、

すぐに結果が返ってこなかったら、どうなるのか?

 

今世で自分に返ってこなかったカルマというのは、

どうなるのか?

 

それは、

「次に生まれ変わったときに、返ってくる」

と、カルマの法則は、教えています。

 

だから、

今世で、良い行い(カルマ)をしておいて、

次に生まれ変わった時に、

悪いものが返って来ないようにしておかなくては、なりません。

 

 

インドには、カースト制度あって、

生まれた身分は、変えられなかったそうです。

 

その身分で暮らしながら、

「悪い行い」をすると、

悪いカルマの結果が、次に生まれ変わったときに、返ってくる。

 

それは、もっと低い身分になることかもしれない。

 

少なくとも、良い行いをしていたら、

同じ身分に生まれ変わることができるんだから、

生まれた身分に文句を言わず、

良い行動(カルマ)を行っていきなさいね・・・。

 

そういうふうにも、カルマの法則は使われています。

 

宗教や哲学は、

政治や生活と深く関わっていて、

民衆を支配、コントロールするのに、

便利に活用できるようになっている。

 

 

ヨガ哲学で話題となる「バガヴァッドギータ」でも、

 

神様であるクリシュナが、

兵士のアルジュナに、

「自分の役割(ダーマ)を全うしなさい」、

と、何度も諭している。

 

つまり、

アルジュナという人は、

カースト制度における、

クシャトリヤ(軍人階級)として生まれたのだから、

その階級の人がやるべきこと、

「戦うことが、ダーマ(役割)」だと諭しているのです。

 

アルジュナには、他の選択はありません。

そういう、カーストに生まれたのだから。

 

バガヴァッドギータの読み方は色々あるけど、

神聖なる書物、と考えられつつも、

こういった「人種差別」が背景となっているところは、

あまり、指摘されない事実でしょう。

 

 

(私が一緒に仕事をさせてもらった哲学の先生方とは、

こういう話も時々するのですが・・・)。

 

 

バガヴァッドギータの中で、

アルジュナは、何を心配しているのか。

なぜ、戦いたくないのか。

 

それは、

敵軍には知り合いがいるから、

その人たちを、殺すことなんて、したくないから・・・。

 

そして、

そんな行動(カルマ)を起こしたら、

その行動(カルマ)の結果が、自分に返ってくる。

それが、怖い。

 

 

インド哲学で、

カルマ(行動)の結果のことを心配するのは、

 

もちろん、生まれ変わった時に、

悪い結果を受けたくないからでもあるけれど・・・、

 

最終的には、「解脱」したいから。

解脱をすると、死んだあとに、この世には戻って来ません。

 

解脱をするためには、

輪廻転生(サムサラ)を止めないといけません。

 

では、

輪廻転生をどうやって止めるかっていうと、

日々の行動の中で、

できるだけ、

サムスカーラ(行動の結果生まれる印象)を残さないように、

行動しなければなりません。

 

なぜなら、

サムスカーラがあると、

無意識に、

また、同じような行動(カルマ)を起こし続け、輪廻を繰り返すからです。

 

だからクリシュナは、

結果に囚われず、ただ行動を起こしなさい、言います。

 

・・・

 

人種差別も含めた背景の中、

輪廻転生や、カルマの法則が、語られてきました。

 

前世があるのか、

死んだらまた、生まれ変わるのか。

 

人が信じることは、

必ずといって良いほど、バイアスがかかっている。

(偏っている、ということ)。

 

自分の生き方や考え方を、

都合が良い方に、サポートしてくれることを、信じている。

 

サンタクロースは信じていないけど、

輪廻転生は信じるという人も、いるかもしれない。

 

だけどどちらも、

証明、できないものだ。

 

どっちか片方を信じるっていうのは、

自分が信じたいから、

信じているのであって、

それが、真実だとは、限らない。

 

人は、自分の生き方や考え方を、

都合が良い方に、サポートしてくれることを、信じている。

 

今の自分の苦しみや、悲しみを、

説明してくれるような、

理解させてくれるような、

魔法みたいな話を、

信じたい。

 

それは、助けになる(ように感じる)からだ。

でもそれが、真実だとは、限らない。

 

 

at 21:12, shakti-mandir, 5. ヨガ哲学

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この夏、自然が教えてくれたこと

先日まで、少し涼しい日々が続きましたが、

今日からまた、暑さが戻ってきました。

 

日本の夏!

 

海外の先生方やお友達と、

日本の夏を過ごしたことが、

何度かありますが、

 

この蒸し暑さは、

オーブンの中にいるようだ!と、

ほとんどの方が、日本の夏の居心地悪さに、驚かれます。

 

日本の夏が蒸し暑いのは、仕方がないこと、でしょうが、

 

ある程度、年を重ねた人は、

「昔はこんなに、暑くなかったよね」

と言われる方も、多いのではないかと思います。

 

テクノロジーが発達して、便利な世の中になり、

もうずいぶん前から、

夏、暑くても、

クーラーの部屋で快適に過ごすことを、している。

 

快適になった、はずなんだけど、

自然はおかしくなっていて、

温暖化とか、ゲリラ雨とか、

土砂崩れとか・・・、

不安になる。

 

同様に、

人って、快適で、楽な生活を送るために、

科学やテクノロジーが発達してるはずなのに、

 

パソコンやiPhoneができて、

忙しさが増したり、

人生の複雑さが倍増したって、

ほとんどの人が、経験しているのでは?

 

「あ〜〜、退屈」っていう時間が、

私が高校生の頃は、結構あって、

 

その、何もすることない、って状態があったからこそ、

ひらめいたアイデアや、

向き合えた感情が、

あったような気がするのです・・・。

 

今は、

退屈って時間、ないでしょ。

だって、高校生でも、

もしかしたら小学生くらいの子でも、

ずっと、スマホを見てたら、退屈しないもん。

 

例えば、

野菜を刻んでくれる、マシーンがあります。

 

野菜を自分で切るのが大変だからって、

そういうマシーンを買うんだけど、

 

結局、マシーンのセットアップとか、

使用後にそれを分解して洗うことを考えると、

 

・・・自分の手で切った方が早い。

 

便利だと思っていたものが、

人生を、より複雑にすることって、よくあります。


7月後半から8月の頭まで、

カナダの島へ行っていました。

 

去年の夏も、同じようなことを書いたかもしれないけど、

 

この島には、2つの村があります。

 

ひとつの村の人口は約1000人。

この村には、レストランがひとつと、スーパーがひとつあるだけ。

 

もうひとつの村の人口は100人で、小さいスーパーがひとつあるだけ。

 

島には、信号はひとつもありません(必要ないから)。

 

このふたつの村を繋げる道が、一本、あって、

どこかへ出かける場合、

ふたつの村を行ったり来たりする以外の選択は、

ないのです・・・。

 

 

レストランも、1つしかないので、

どこへ食べに行くか、迷う必要がありません・・・。

 

また、スーパーも、売ってるものが少ないので、

食事の内容も、バラエティ豊かなものは作れないけど・・・、

野菜は庭で採れるし、

前の海で釣れた魚を、近所の人がお裾分けしてくれるし・・・、

シンプルだけど、食べる物は、あります。

 

そして、その食べてる物は健康的で、

何を買うか迷わない分、時間も節約でる・・・。

 

これ、何よりも、楽!!!

 

人は迷うってことも、ストレスになるので、

迷ってばかりいると、

ストレスを感じて、

体にストレス反応が起きます。

 

そして、血糖値が上がったり、血圧が上がったり・・・。

 

あまりにも便利で、

あまりにもチョイスが多いのって、

人にとって、

あまり有益なことでは、ないのかもしれません。

 

この夏、カナダへ旅立つ前も、

それ以外の時でもそうですが、

私も、とても忙しい日々を送っています。

 

カナダには家族がいて、用事もあるので、

行かなきゃいけない理由もあるのですが、

 

行く前になると、行ってる場合じゃないくらい、

日本で用事があるじゃないか!と、毎回思います。

 

でも・・・。

行ってみて、島へ立ち寄ると・・・。

 

時間がいっぱい。

 

やることないから、庭で洗濯物干して、

ネコや、鹿、犬や、ハチドリたちと、

デッキでごろごろ、読書したり・・・。

散歩行ったり・・・。

 

すると、脳は、どんどん、柔らかくなっていって、

 

次から次へと、ひらめくことがあったり。。。

本当に自分が進みたい方向が、明確になってきたりします。

 

 

休むことは、

時間を無駄、にしているのではなくって、

 

時間を、効率的に、使っていることなんだと、

気付かされます。

 

脳には、可塑性があって、

プラスティックみたいに、

一度、覚えてしまった習慣を、

なかなか変えることが、できません。

 

旅をして、

日常と違うところで、

新しい風を、脳に入れてあげることで、

 

そして、本当に、たっぷりとした時間の中で、

休むことで、

 

脳はまた、

新たな神経回路を構築しているのかも、しれません。

 

可能性に、制限を付けることが、

なくなってくるのです。

 

 

・・・そんな、脳をリフレッシュさせた後、

 

帰国後はすぐに、

名古屋で通訳をし、

数日後、

東京へ移動でした。

 

 

人は夜、

時空を超えた、

夢を見ます。

 

現実では、

時空は規則正しく、あるような、気がしますが、

 

100人の村から、

地球の裏側の大都会、東京のアスファルトに足場を変えた時・・・。

 

人生って、夢、なのかもしれないって感じた。

 

 

東京では、3日間、

「サイエンス・オブ・ヨガ:ヨガとガン」

という、トレーニングを受講しました。

 

科学的なエビデンスをもとに、

ヨガができることをする、という内容だった。

 

トレーニングの内容は、もちろん、これからのクラスに活かせるものだったし、

がん以外の、肉体の痛みや、心の問題などにも、効果がある手法を学びました。

 

 

東京を終え、

 

三重に戻り・・・。

 

夕方、

犬の散歩へ行くと、

 

キツネがいた。

 

この子、

時々、遭遇する子で、

どうやら、家の裏の草むらに住んでいるらしい。

 

 

・・・なんか、おかしいって、

 

なんか、

 

日本の人たちの今の生き方が、

おかしくないかって・・・

 

自然の中にいる動物に、

教えてもらったみたいな気がしました。

 

日本でのがん治療は、本当に進化を遂げ、

ますます、素晴らしいものになってきている。

 

それなのに、がんの人の数が、減らない・・・。

 

これは、

岐阜県の、船戸クリニック(注釈1)の船戸先生が言っていたことです。

 

トランスパーソナル心理学についての書物の中で、

諸富祥彦先生が、

日本人は「優しい暴力」によって、苦しんでいると、書いていました。

 

この、

優しい暴力とは、

きっと、英語で言う、

passive agressive(受け身の暴力)

のことではないかと、思います。

 

自分を捨てて、

会社や、

学校や、

他者に受け入れられるために、

仮面を演じ続けている。

 

人のために自己犠牲してしまう人。

 

そのために、自己犠牲されてる側も、罪悪感を感じる・・・

悪いな・・・って感じる。

これが、受け身の暴力(優しい暴力)。。。

 

 

船戸先生は、聞いています。

 

・ 睡眠時間はちゃんと取れてますか?
・ 食事は大丈夫ですか?
・ 運動してますか?
・ 体温めてますか? 入浴してますか?
・ よく笑ってますか (呼吸法)?

 

人の20歳の免疫は、

50歳で半分、

80歳で、4分の1になるそうです。

それは、リンパ球 の活性が、半分、4分の1になるってことです。

 

若い頃は大丈夫でも、年取る毎に、無理、になってきます。

(これも、船戸先生の言葉)。

 

 

自分を犠牲にして、無理する。

 

これが、もうこれ以上できないってなると、

社会にとっての、「出る杭」になるか、

「引きこもり」になるか、

どちらかしか、ない・・・。

(または病になるか。。。)

 

・・・・。

 

日本に戻ってくると、

社会的な風潮で、

何か、ゆっくりすることが、

罪、みたいな気がすることがあります。

 

 

「振り」だけでも良いので、

私も苦労しています、

(自己犠牲しています)、

みたいな姿を見せなきゃいけないとか、

そんな風に生きてる人たち、多くないですか?

 

大人なら、

お酒を飲んだ時くらいに、ストレス解消、してるのかもしれないけど。

 

それだって、

何かしらの形で、

自分を「麻痺」、させているってことだ。

 

そうしないと、

生きていけないのかもしれないけどさ・・・。

 

 

動物たちは、

植物たちは、

とてもシンプルに、生きている。

 

そこから、学ぶことが、多くあるよ。

きっと、涙が出るかもしれない。

きっと、自分という自然を、

今まで、

ひょっとすると、

おろそかにしていたと、

気付かされるからかもしれないけれど。

 

もし気付いたのであれば、

少しだけでも良いから、

もっと自分と親密になる時間を持って、

仮面ではなく、

本当の自分に、

触れ合ってあげて欲しい。


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注釈1: 船戸クリニックは岐阜県の養老にあります。

西洋医学、漢方、統合医療などの複合施設。

2018年1月に、岐阜県関市に、

がん患者のための、

「生き方を変える施設」を開業予定だそうです。

船戸クリニック HP → http://www.funacli.jp



 

at 22:00, shakti-mandir, ★ プライベート / Private ★

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陰ヨガ - 25時間トレーニングを開催します。

9月3日(日) ~9月6日(水)

 

陰ヨガの指導と練習 25時間トレーニングを開催します。

 

陰ヨガでは、「ポーズが何に、そしてどこに機能しているか」を大切にします。

人は骨格や体の硬さが異なるため、ポーズの形も千差万別。

「同じ形になるはずがない」と考えます。

 

それを踏まえてポーズを機能させるためには、

各ポーズの様々な「バリエーション」を知る必要があります。

 

例えばクラス全員が「違った形で同じポーズを行う」ことも、あるかもしれません。

 

ポーズの完成度や、「きれいな形」を達成したいという気持ちが、

ともすると「エゴ(我の表われ)」にならないように、

その「気づき」を大切にする陰ヨガでは、

ポーズの写真を使ったり、「模範的な形」を教えたりはしません。

 

機能でポーズを考える。

そのために、それぞれに合ったバリエーションを、生徒が自ら探っていけるようなガイドをする。

 

・・・生徒が自分のヨガを見出す手伝いをする。

 

「自分との対話」。

 

その時間をたっぷり与えられるのが、陰ヨガの練習法です。

 

◆ 陰ヨガの練習と指導 ◆
日程が若干変更になりました。

2017年9月3日(日)~2017年9月6日(水)

 

詳細は以下のリンクよりご確認ください。

 

クリック ☞ 陰ヨガ

at 22:18, shakti-mandir, 2. ティーチャートレーニング / YTT

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バガヴァッド・ギータ のタントラ的な理解 with カルロス・ポメダ

7月15日~7月17日まで、

カルロス・ポメダ先生の、ヨガ哲学の通訳をしていました。

 

今回は、バガヴァッド・ギータの3日間でしたが、

これを、「タントラ的に」読解するというもので、

とても難しい内容でした。

 

バガヴァッド・ギータでも、ヨガスートラでも、

理解の仕方は、色々あるのだということ。

 

これは、こういった聖典に対する注釈が、

様々な人によって寄せられているからであり、

誰の注釈を参考にするかによって、理解の仕方が変わるのですね。

 

10世紀、

Abhinavagupta(アビナバグプタ)というタントラ哲学者も、

バガヴァッド・ギータの注釈を書きました。

(Gitartha-Samgrahaと言う校訂本)。

 

今回のクラスでは、

彼の注釈を参考に、

 

タントラ以前の古典的なヨガと、

タントラ的なヨガの見方を、

バガヴァッド・ギータを通して、

比較してみる、という、ワイルドな内容でした!

 

バガヴァッド・ギータは、

誰でもヨガを行えるとか、

満ち足りている人にとっては、ヴェーダも必要ない、と述べた点などで、

もうすでに、画期的な内容、だったのですが、

 

それをのちに、さらに、タントラ的に読み解いたアビナバグプタは、

特記するべき、タントラ哲学者だったようです。

 

3日間、それは多くのことを学び、瞑想テクニックも紹介されていました。

 

古典的なヨガと、タントラ的なヨガの違いは、

ひとことで言うと、

古典的なヨガが二元論的な練習法であり、

タントラヨガは、非二元論である、というところ。

 

どちらのヨガのスタイルも、

「自由になる」ために、ヨガを行うのですが、

 

古典的な方は、

そのために、「世俗を捨てて、高次なところへ到達しましょう」と教えます。

出家とか。洞窟へ行って瞑想したり・・・。

で、

変化し続ける世界(プラクリティ)に振り回されるのではなく、

普遍的なもの、神聖なるものの側(プルシャ)に、留まりましょう、

と言って、

体、心、感覚、を制御(コントロール)しようとします。

体や心は低次なもので、もっと高次へ行かねばならぬ、と、二分化するので、

二元論、と言います。

 

一方、タントラは、

いえいえ、そうではなくって、

世俗社会も、体も、変化するものも、

それが、それ自体で神聖になり得るよ、という考え方。

高次、低次と分けない、というところで、非二元論。

 

でも、このプラクリティ(変化する世界)を、

神聖なものとして、

練習の舞台のために使っていくには、

自分の意識が、しっかりそれを、認識していないと、無理ですよ。

そうじゃないと、結局、

日常の変化に、振り回され、「闇」に生きてることになるからね、

そして、闇とは、無知、のことですよ、

と教えます。

 

 

おおざっぱな説明ですが、

 

タントラ的に練習をするために、2つのキーワードがありました。

 

どんな時も、いつでも戻って来なさいねというポイントが、この2つの言葉。

・Jnana(意識)と

・Kriya (行為)。(この場合、カルマではなく、クリアです)。

 

この言葉を、

プルシャとプラクリティに宛がうなら、

 

Jnana(ニニャーニャ)= 意識が、プルシャ(変わらないもの)、

Kriya(クリヤ)= 行為が、プラクリティ(変化するもの)。

 

そして、いつでも、

Jnana(意識)の方が、より大切だということを、

覚えておきなさい、という、教えでした。

 

古典的なヨガの場合、

変化する俗社会というのは、ダメなもの!でしたが、

 

タントラ的な考え方は、

俗社会も、全然問題ないよと。

俗社会で行動することも、ちっとも問題ないし、

それを使って、ヨガの練習をすれば良いよと・・・。

 

そのために、日々の行動(Kriya)を起こす時、

常に、Jnana(意識)と繋がっていなさい。

(観察者でいなさい、無意識に反応しない状態でいなさい)。

 

それは、

ギータの中に出てくる、

ニニャーニャヨガ、カルマヨガ、バクティヨガでも、

すべて、この教えに、戻ってきなさいと、

何度も何度も、協調された箇所でした。

 

 

その他、覚えておきたいサンスクリット語が、いくつかあったので、

ここに書いおきたいと思います。

 

● Mukti(ムクティ) --- 瞑想のような状態、自由な状態

● Bhukti (ブクティ) --- 瞑想してない日常の状態、楽しみ

 

Muktiは、練習。例えば、一日、1時間の瞑想。

それ以外の時間は日常生活で、Bhuktiですが、

タントラでは、

Muktiも、Bhuktiも、どちらも神聖な練習であることができるとし、

3つのグナ(変化するもの)もあってオッケーとしている。

 

 

● Apavarga(アパヴァルガ)--- 目覚めを垣間見る。

瞑想をし、日常生活も瞑想的に生きるようにすると、

時々、さとりを垣間見る(ちょっとだけ体験)することができる。

そのちょっとだけのさとり体験のことを、Apavargaという。

 

 

● Anugraha (アヌグラハ) --- 与えられたもの。いつもそこにあるもの。

英語では、Grace(グレース)と言うけれど、

常に、大いなるもの、神聖なものが、そこにある、というような、感じのこと。

 

 

● Karma (カルマ) --- 行動

● Karma-Phala (カルマ パラ)--- 行動の結果、実る果実のようなもの。

 

 

● Manas (マナス)--- マインドにおける、心の部分。 

● Buddhi(ブッティ)--- マインドにおける、知能/インテリジェンス/思考の部分。

サンスクリット語では、マインド(心)を、この2つに分けて考える。

 

 

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とても濃厚な3日間でしたが、貴重な時間でした。

北海道のお友達も参加していて、最終日は楽しく夕飯もできたし!

 

 

教えに基づいた瞑想テクニックは、色々あるけど、

テクニックによって反対に、迷ってしまわなように・・・。

 

教えはあったとしても、

何よりも・・・

 

そのままの自分で良いと気付くこと、

他の誰かになる必要もなく、

もっと良いものになる必要もなく、

別のどこかに到達しようとしないことが、

自由の「鍵」になるかなと、

個人的には、感じています♡

 

 

at 21:50, shakti-mandir, 5. ヨガ哲学

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全米ヨガアライアンス200時間 土日コース (2017年9月〜2018年3月)

ナマステ♡

 

2014年から、三重県桑名市にて、

カナダ Open Source Yoga主催の、

全米ヨガアライアンス200時間指導者育成コースを開催してきました。

 

現在は、第4期生が学んでいますが、

彼らももうあと数ヶ月で、卒業となりました。

 

今年9月より、第5回目の、トレーニングを開催予定です。

 

そして、この5回目のトレーニングを開催したのち、

全米ヨガアライアンス200時間トレーニングは、

しばらくお休みさせて頂くことになりました。

 

2018年以降、

ちょっと焦点を変えて、ヨガを皆さんに提供していきたく、

そのために、200時間トレーニングは開催しません。

 

ですので、

もし、三重県桑名市でトレーニングを受けたいとお考えの方は、

9月からのコース受講を是非ご検討くださいね。

 

9月スタートコースは、土日コースで、

各モジュール毎にトレーニングをご受講可能です。

200時間すべて受けなくても、

好きなモジュールのみ、受けて頂けます。

 

以下が、各モジュールの内容になります。

(各モジュールをクリックすると、内容のリンクへ移動します)。

 

モジュール#1: 自己練習の確立 (20時間)

モジュール#2: ヨガが癒しになる時(20時間)

モジュール#3: 陽のヨガの練習と指導の基礎(60時間)

モジュール#4: 様々な練習法 (20時間)

モジュール#5: 指導スキル、シークエンス、ヨガとビジネス(60時間)

 

※ モジュール#3は、モジュール#1をご受講頂かないと、受けられません。

※ モジュール#5は、#1〜#4までをご受講頂かないと、受けられません。

※ 10月、11月のコースには、カナダよりDan先生が部分的に指導に入ってくださいます。

 

(加算式もなくなりましたので、ご了承ください)。

 

 

★ 200時間トレーニングすべての情報は以下のリンクをクリックしてください。

全米ヨガアライアンス200時間コース 2017年9月スタート

 

☞ 全コース受ける方は、早期割引は8月25日までです(延長しました!)。

☞ お友達紹介して頂くと、トレーニング参加者は1万円の割引、

  紹介してくださった方にも、同額の割引を、

    他のクラス、またはトレーニングからさせて頂けます。

☞ トレーニング受講中、シャクティモンディヨガの一般クラスが、

 すべて無料で受けられます。

 

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2018年以降の全米ヨガアライアンス200時間コースは、

「参加希望者が3名以上集まった状態で、開催リクエストを頂いた時のみ

開催させて頂きます。

その場合、開催日程などは、相談となります。

 

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200時間以外のトレーニングやワークショップは引き続き、行っていきます。

一般の生徒さんや、プライベートでのスペシャルクラスも、

これまで通り、開催していきます。

 

以下にクラスの詳細がありますので、どうぞご覧ください。

 

一般クラス (誰でも参加できます)

スペシャルクラス (プライベートで参加可能です)  

 

日々を通して、皆さんと繋がれる時間が、私の一番好きな時間です。

これからも、どうぞよろしく♡

 

at 14:42, shakti-mandir, 1. スタジオお知らせ/ Studio Announce

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シッダールタ (ヘルマン・ヘッセ)

毎年、春からこの時期(6月)にかけて、体をデトックスしたくなります。

それは、体調の悪さというのが、少しのことでも、所々に現れるからです。

 

生きている限り、ストレスをなくすことはできないので

季節の変化や、日常生活から生じたストレスに対して、

居心地の悪さを感じない人はいないと思う。

 

この問題に対して、2つタイプの人がいる。

● 1つ目のタイプは、

問題解決して、居心地の悪さを取り除こうとするタイプ。

例えば、食事を変えるとか、運動するとか・・・。

私は、今はこっちのタイプ。

 

● もうひとつのタイプは、

居心地の悪さを、他の何かを体に入れることで、麻痺させてしまえ、というタイプ。

例えば、お酒飲んだり、甘い物食べたり、薬飲んだり。

私も昔はこっちのタイプだった。

 

正直、

どちらのタイプでも、良いと思っている。

 

2つ目のタイプの、

「調子悪くても、ビール飲めば治るわ」、ってメンタリティを見てると、

クソ真面目になりがちな自分を、嘲笑してしまいそうにもなるのです。

 

どちらのタイプであったとしても、
生きるって居心地悪いから、
もっとマシな状態になろうとするか、
あるいは、それを麻痺させる状態にするか、
というようなことを人はしている。

 

ところで、数ヶ月前に、犬(トイプードル)を飼ったお陰で、

毎日、川へ散歩へ行っています。

 

散歩へ行くことで、犬を通して、人と会話ができることが、とてもうれしい。

 

近所の豆腐屋のおじいさんが、黒い犬を散歩させていた。

私はこのおじいさんを、小学生の頃から知っている。

豆腐屋にも行ったことがあったけど、その豆腐屋は、今はもうない。

 

81歳とか、言っていたかな。

 

豆腐を売ってた元気なおっちゃんだったけど、今はおじいちゃん。

たった2キロくらいの小さな犬の糞を取るために、

それはそれは大きな”タモ”を持っていた・・・。蝉が1000匹入りそうなくらいの。

 

「小学校3年生の頃、もう3月になったら、この川に飛び込んどったんや」

って、

 

今は汚染されて泳ぐことなんて考えられない川を見て、教えてくれた。

 

「もうずっと、この川で育ってきたからな、わしらは・・・」

 

・・・川はずっとここにある。

 

豆腐屋のおじいちゃんとの会話の後、

ヘルマン・ヘッセの「シッダールタ」を思い出す。

 

私の大好きな本。

ヨガの哲学が好きなら、きっと、誰でも好きであろう。

 

「この水は流れ流れ、

 絶えず流れて、

 しかも常にそこに存在し、

 常にあり、

 終始同一であり、

 しかも、瞬間瞬間に新たであった!」

 

豆腐屋のおじいちゃんにとっても、

川は、そんな存在だったんだって、

おじいちゃんが、言っている気がした。

(確実に、自分の心の投影でもあるけど)。

 

 

「常にそこに存在するもの」(プルシャ)

「変化するもの(常に新たとなる)」(プラクリティ)

 

川が、「それ、そのもの」を、シッダールタに表現するところ・・・。

好きなシーンのひとつです。

 

 

年を重ねた豆腐屋のおじいちゃんとの会話で、

「いつも川と共にあった」って話に、

 

変わらないもの(プルシャ)と、

変化するもの(プラクリティ)の、

「共存(2分化されない姿)」を、

感じて、

 

そういう時は、ちょっと、切なく、優しい気持ちになる。

最近、こういう時間が、何よりも好きだ。

 

 

小説の中で、シッダールタは、

沙門(出家して修行する仏教徒)をやめ、

商人になり、遊女と関係を持ち、

酒や賭博をするようになっていく。

 

その姿は、

純粋で志が高かったシッダールタからは、

想像がつかないようなもの、であるような気もするけれど、

 

彼は本当に若い頃から、

 

冥想も、修行も、

「我であることの苦悩からのしばしの離脱、

 苦痛と人生の無意味に対するしばしの麻酔にすぎない」

 

と言っていた。

 

そんな逃避や、しばしの麻酔なんて、

お酒を数杯飲んだりすれば、

一時的に、「我」を忘却することができるんだから、

 

修行でも、お酒での忘却も、

どちらも「無我」っていう意味では、

違いはないではないかと・・・。

 

 

さらに、

自分たちの崇拝する師が、六十になっても、

どれだけ修行しても、涅槃の境地に達してないのは、なぜだと思うか!と・・・。

(苦笑)。

 

 

自分たちは、修行することで、「自分を欺く」技巧は覚えるが、涅槃には達しない、と。

 

 

それは、修行する者にとっての、「苦」として伝わってくる。

だから、彼は沙門をやめて、お金持ちの商人になるのだけれど。

 

そこでも、彼は、苦しいのです。

苦しいから、そんな生活を捨てて、川に、たどり着きます。

 

 

シッダールタは、

彼の自我(エゴ)が、

瞑想や禁欲という精神性の中に入り込んでいたと、言っている。

 

断食や苦行によって、

その自我(エゴ)を殺そうとしていた、と。

 

そしてその自我(エゴ)は、どんなことをしても殺せなかった。

 

だから、彼は俗世に入り、

享楽と権勢、

女と金にふけることで、

彼の内の司祭と沙門を、殺さなければならなかったって!!

 

すごいなって思う。

 

それはそれは、ヘルマン・ヘッセのこの小説、

すごい内容だと毎回読むたびに、感嘆してしまう。

 

 

私たちの日常生活は、シッダールタのそれのようなものではないけれど・・・。

 

我を殺したくなったり、

忘却したくなったり、

 

時の流れを感じながらも、

 

変化するものと、変化しないものを、

同時に感じたり、している。

 

それは、自然が教えてくれる。

 

人の生も、死も。

 

自然は、美しく、切なく、悲しい。

そして私たちに、慈悲深さを、与えてくれる。

慈悲深さは、自分でつくるものではなくて、

与えられるものであると、感じるのです。

 

 

 

at 21:41, shakti-mandir, 8: 引用 / Quotation

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