コンパクトに生きる

「コンパクトに生きる」

これが、居心地良い。

 

ちょっと前に、

「屋根ひとつお茶一杯」という本を読んだ。

(ドミニック・ローホー著)

 

ほとんどのコラムで、

嗚呼、そうだな、そんな風なのが良いな、としっくり来た。

 

特に「小さな家」というアイデアが好き。

 

そして家というのは、

「一生そこで過ごす」ものでは、ないような気もする。

 

「不動産」とは、動かない産物、みたいな意味があって、

「不」という字がついているのかもしれない。

 

でも、そういう、「動かない」概念を、翻しても悪くはない。

 

30代後半、40代という年になってくると、

家族を持ったりして、マイホームを買う人もいる。

 

毎月のローンの支払い、これが何年も続く生活・・・。

 

どれくらいの金額が、どれくらいの年月支払えるだろう・・・。

それを毎月払っていくストレスは、どんなものだろう・・・。

 

そのストレスがあるのであれば、

賃貸で暮らしていく方が良いのだろうか?

 

賃貸だって、毎月家賃を払わなければならない。

しかも、どれだけ家賃を払っても、

その家は自分のものにはならない。

 

今、日本にはたくさん空き家があって、

色々調べていくと、空き家の値段はめちゃ安い。

 

実は過去4年間の間、

趣味の一環で、

数えきれないほどの空き家を見に行っている。

 

その中で一番安かった物件は、なんと、250万円だった。

6-700万で買える家は、結構ある。

もちろん、修繕は必要だし、立地もそれほど良くない場合もある。

でもこれから、人口の減っている日本は、

どんどん、空き家が増えていく。

 

上手に空き家を活用している人たちも、何人か知っている。

 

少しの頭金があったり、

頭金がなかったとしても、

中古の安い家を35年のローンで買えば、

毎月の返済は、家賃よりも安くなる。

 

でも、中古の家の難点は、

もし、その家にもう住みたくなくなったり、

その家が必要ではなくなった時、

「買い手がいないかもしれない」・・・ということ。

 

いらなくなったのに、

売れない家の固定資産税をずっと払っていくなんてしたくない。

まさしく、負の遺産(負動産)になってしまわないように。。。

 

いらなくなったら、買い手がいるかな・・・。

とか、考える。

 

その時は、「土地の値段だけで売れたら良い」。

 

だって、中古の家は、家の値段なんて、もともとついてないものもある。

土地の値段で買える中古の家、ってたくさんある。

 

そこで、今後10年先、20年先、この「土地」は売れるかな・・・。

と考えれば良い。金額は大幅に下がったりしないかな・・・とか。

 

駅に近くて、便利なとこなら、売れるだろうなと推測がつく。

(もちろん、確実なことはわからないけど)

 

そんな感じで、安い家が見つかって、

将来売れることを前提でその家を購入して、

毎月、2-3万円のローンで暮らすことになると、

この金額なら、ストレスも少ないだろう。

家賃と比較すると、1Kでも3万の家賃というところはない。

 

お友達でも、シングルで子育てしながら、ヨガスタジオを経営してたり、

自分で事業をしている子が何人かいる。

 

「家を買う」ということは、

「そこから動けない」からやりたくない、という意見も聞いたりする。

 

でも、家を買うことで身動きができなくなる、と言う考え方を、

一度捨てると良いと思う。

 

また、家に何かを産んでもらうことだって、可能かもしれない。

「どんな地域」に家が建っているかにもよるけれど、

お店ができたり、民泊ができたりする場所・家もある。

 

そして、自分が動きたいのであれば、売ればいい。

 

年を取ったら、どんどん、スケールダウンしていけばいい。

 

で、どんどん、スケールダウンのイメージをするのも、楽しい。

 

カナダの友達は、タイニーハウスに住んでいる。

要するに、キャンピングカーみたいな家だ。

 

最小限にスケールダウンしていくと、そういう家になる。

 

今や、軽トラックサイズのキャンピングカーも日本にはある。

 

だけど、実際にキャンピングカーに住んでた人に聞くと、

結構、不便で長続きしていない。

 

カナダのタイニーハウスに住んでいる友達は、

知り合いの庭にタイニーハウスを置かせてもらっているので、

トイレもシャワーも問題なく設置できる環境にいる。

また、洗濯機も友達の家のを使える。

 

でも、本当に道にキャンピングカーをとめて生活していた人は、

まず、トイレとシャワーが面倒だったと言っている。

 

また、道に車をとめて寝ているので、不審者と間違えられる。

 

そして、冬、寒い。

日本なら夏は死ぬほど暑い!

 

年をとって、小さく、どんどんコンパクトになっていきたいと思うけれど、

できるだけ、居心地良いのが良い。

パートナーがいたら、

お互い気に障らないくらいの多少のスペースが欲しいだろう。

 

こうして、コンパクトに生きることを考えると、

要らないものが、どんどん増える。

 

これも捨てる。あれも捨てる。

だって置き場がないのだから。

 

ヨガも、コンパクトなアクティビィだ。

マットがあれば、どこでもできる。

 

通訳も、自分さえいえれば、どこでもできる仕事。

 

結局、そういう生き方が、心地良い。

 

制限されず、自由に連想していくと、

色んなアイデアと可能性が広がっていく。

アイデア、可能性に関してはコンパクトではなく、

限りなく、壮大でありたい。

 

at 22:40, shakti-mandir, ★ プライベート / Private ★

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お金のこと

むか〜し昔のことです。

まだ20代後半の頃・・・。

3つ年上だった男友達が、

1000万円くらいの貯金があるって、

教えてくれたことがありました。

 

私はその頃、貯金なんてありませんでした!

 

「なんでそんなに貯金するの?」

と、尋ねたのです。

 

「特に理由はないけど、お金があったら、やりたいことができるやん」

 

すでに子持ち、もうすぐ30歳というのに、

精神年齢が今以上に低かった私は、

その回答に、「すごい!」と感動したのです。

 

あれから何年もの月日が経過しましたが、

「お金があったら、やりたいことができる」

という彼の言葉は、今でも時々、脳裏に浮かびます。

 

お金は働いて得るもの。

自分の時間と労力を提供し、その見返りで頂くもの。

 

でも、だからといって、

やりたくないことをしてまでも、

お金を得たいだろうか?

 

その質問への答えが「No」であるのであれば、

やりたくない仕事はせずに、

よって収入はなくなってしまい、

路上生活者になるのである・・・。

 

でも、路上生活者にはなりたくないから、

やりたくない仕事を仕方がなくしている。

 

そんな人たちが、ほとんどではないだろうか。

 

でも、

本当にやりたくないことを、毎日毎日我慢してやり続けることで、

体や心が病気になることもあるかもしれない。

 

この場合、

生きていくために、

やりたくない仕事をして、

そのために病気になって、

命を削るという、パラドックスになる。

 

「パラドックスとは、

正しそうに見える前提と、

打倒に見える推論から、

受け入れがたい結論が得られることを示す言葉」

(ウィキペディア/Wikipedia より引用)

 

この、「やりたくない」という拒否感、拒絶感を、

どの程度感じるかは、

人ぞれぞれのような気がする。

 

どんなことでも、

「ああ、いやだな、でも仕方がないな・・・」

という程度で、ある程度我慢しながらやってける人。

 

反対に、

「こんなの絶対無理!こんな毎日、生きてる意味ない」

というほど、拒否反応が起こる人・・・。

 

仮に誰かが、後者の方であって、

仕事でも人間関係でも、何でも良いけど、

「絶対無理!」と感じるのであれば、

それは、やめたいってことになるのだけれど、

 

それが生活に関わってることなのだとしたら、

その代わりになるものを探して、

どうにか生きていける状況を作り直さなければならなくなる。

 

圧倒的に、後者である状況が多い場合、

周りからは、「わがまま」というレッテルを貼られる可能性もある。

 

でも後者の人たちというのは、

周りに何と言われても、無理なもんは無理なのである。

 

そこで、

この無理をバネに自分の生きる道を開拓する人がいる。

反対に、そこに力強いバネの力がない人もいる・・・。

 

だから、人生は難しい・・・。

 

「これは絶対にやりたくない」という思いと、

「でも、生きていかなければならないし」という思い。

 

絶対に絶対にやりたくないっていうのが頂点に達した時・・・。

それでも生きてくにはどにかせなあかん!

となった時・・・。

 

むか〜し昔の私は、仕事もなく、小さな子どもを抱えていて、

どうしても収入が得たいという状況になったことがありました。

 

手っ取り早く、儲かる仕事と考え、公募に応募したことがある(笑)。

 

前もブログに書いたけれど、

2003年(だったと思う)、

とある文学賞に応募するため、小説を書きました。

 

賞金が200万円だった。

200万あったら、まあ、どうにかなるかって。

お友達の1000万からは程遠かったけど。

 

2007名の応募者から、7名の候補が選ばれ、そこに私も入っていた。

 

さあ、そこから最終選考までの数日間、

毎日通った神社!(笑)

 

「文学賞が取れますように・・・。200万円、南無阿弥陀仏(神社だから違う!)」

 

もちろん、文学賞は取れず(「もちろん」というのは、適切がどうか分からない表現ですが)。

 

トボトボ・・・という表現がぴったり似合う足取りで、最終選考のホテルを後にしました。

 

だけどその帰り道、

古ぼけた本屋で見つけた仏教の本が、

私の人生をちょっと変えてくれた。

 

落ち込んだ気持ちと・・・。

もっと、謙虚にならないといけないということを、

切なく学びました。

 

とは言いつつも、

いくら年をとっても、

「あかん、これ、やりたくない!」と思うことは、

何がなんでも、やらずに済むようにするという気合い(笑)は、相変わらず・・・。

 

だけど「それならどうするか」と時間をかけて考えることや、

コツコツと、何かを培うことが、

前よりも少し、できるようになった。

 

No pain no gain という言葉があって、

「痛みがなければ得るものはない」というような意味。

 

でも私は、この言葉もあまり好きではない。

 

誰も痛い思いなんて、したいわけないし、

 

忍耐とか、努力って言葉は、大嫌い。

(やっぱり謙虚になかなかなれないのかな・・・)。

 

何かやるなら、楽しくやりたい。

楽しいから、頑張れる。

頑張ったから、楽しくなる、こともあるかもしれないけど、

頑張っても忍耐努力しても、苦しいばかりじゃあね。

苦しみに美徳を感じるってことは、私にはない。

 

いつもブログが長いって言われる。(笑)。

 

今日も長くなってしまっているけど。

 

「これ、絶対にやりたくない」と思った時。

それが生活に関わることならば、

「これやめて、どうやって生きていくんだよ」と考えてみる。

 

1000万円あったとしても、収入なかったら、そんなお金、すぐになくなる。

 

でも、無理なことをして命を減らすのはイヤ・・・・。

どうやったら、生活に困らず生きていけるだろう。

知恵を絞るわけなのです。

 

頭悪いし元金ないから、株式投資や投資信託なんてできない。

で、結局いつもたどり着くところは、「自己投資」。

 

自分に投資しよう。

自分に投資して、自分が実のなる木となろう。

だけどそうすると、自分という木が腐ったら終わりだ。

だったら、心の体も、できるだけ腐らないような生き方をしよう。

 

ヨガのクラスの中で、時々生徒さんに聞くことがある。

「夢はなんですか?」

 

そして、「先生の夢は?」って聞き返される。

 

夢? 特にない。

 

でも、たまに、

今よりもさらにもっと自由でいたいなと思う。

そして、何年も前の友達が言った言葉を思い出す。

「お金があったら、やりたいことができる」。

 

これは守銭奴であることとはまったく違う。

 

自分という木に実がなって、できれば周りも豊かになる。

周りも豊かになって、自分にもその恩恵がまわってくる。

そのために必要なもののひとつがお金だから、

やっぱり、大事な存在。

 

お金について考えることも、

お金が欲しいと思うことも、

お金を好きでいることも、

全然、悪いことではない。

 

 

at 14:55, shakti-mandir, ★ プライベート / Private ★

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スタジオからのお知らせ

2018年前半に開催するワークショップ、トレーニングの日程に変更が出ました。

 

以下が最新情報です。

 

2018年2月 ◎

 

陰ヨガの練習と指導法

2018年2月2日(金)〜 4日(日)
@9:30-16:30
実践18時間 + 宿題2時間 トータル20時間
(ランチ1時間休憩)

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中級レベルのシークエンス with Daniel Clement

2月10(土)、11日(日)、12日(月・祝)@ 9:30-11:30

2/10(土)- ヘッドスタンド
2/11(日)- バックベンド
2/12(月・祝)- ねじりと前屈

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陰ヨガが自分でできるようになるためのワークショップ

2018年2月24日(土)
@9:30 〜 16:30 (ランチ1時間休憩) トータル6時間

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2018年3月 ◎

 

今年こそはヨガデビュー

2018年3月17日(土)@ 10:00 〜 16:00

3月17日(土)は新月です。新月はお願い事をするのに最適なタイミングだそうです。ヨガはありのままの自分と親密になること。自分の心や体に触れ合い、一緒に新月に、祈りを託してみましょう。マントラを唱えます。

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ヨガ指導者のためのスキルアップコース

Part 1 「様々なボディへの指導法」
    2018年3月8日(木)@ 9:30 – 15:30 (ランチ休憩 1時間)

Part 2 「シークエンス作り」
    2018年3月9日(金)@ 9:30 – 15:30 (ランチ休憩 1時間)

 

※ Part 1, Part 2 のどちらかのみ受講することも可能です。

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2018年5月には、ヨガティーチャートレーニング基礎コース(30時間)も開催予定です♡

 

お問合せ:shakti.mandir.yoga@gmail.com

 

 

at 21:24, shakti-mandir, 1. スタジオお知らせ/ Studio Announce

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思惑通りには、いきません

誰かを助けたい、

良く「してあげたい」と思う時、

 

どうしたらそれが可能かと、

色々考えたり、

案を練ったり・・・。

様々な手法について、学んだり・・・。

 

そして"セラピスト"は、

「これなら、きっと助けになるはず」

と、その人のための、その日のメニューを考える。

 

ヨガであれば、

ポーズの種類ややり方かもしれないし、

呼吸法かもしれないし、

瞑想かもしれません。

 

だけどそこに、

セラピーを提供する側の「思惑」があればあるほど、

思惑通りには、いかない。

 

それは、

与える側のナルシシズムで終わってしまう・・・。

 

特に、特に、相手が子どもの場合は、

特に彼らには、それがよく、伝わってしまう。

 

彼らはそうすると、

扉を閉ざしてしまうのです。

 

その扉は目に見えないけれど、

扉が閉まる音さえもが、聞こえてきそうだ。

 

相手が子どもでなくても、

関係がセラピストとクライアントという間柄でなくても・・・。

 

相手を「変えたい」、

「変えた方が良い」、

と勝手に思い込み、

 

そのために、

自分の方が良く知っていると思い込み、

何かを相手にして「あげる」ような時、

「(良くなるように)変えてあげたい」という思惑通りには、いきません。

 

それは何か、悲しい結果なのです。

 

変容は、

起こすのではなく、「起こる」もの。

ましてや、

誰かに「起こしてもらう」ものでもない。

 

相手が私たちを、

彼らの世界に招いてくれた時、

それは少しの信頼が生まれた印かもしれない。

 

信頼してくれて、ありがとう。

 

そしてこちらからも、

「信頼」をしていると、伝えたい。

「心配」ではなく、信頼。

そのままであっても良いという安心。

 

at 22:21, shakti-mandir, 4. ヨガの効果 / Benefit from Yoga

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2月以降のクラスのお知らせ

「もう、やーめた」と思うこと、多し今日この頃。


焦ったり慌てたり、心配したりすることって、

どこで感じるかっていうと、

からだ、で感じる。


感情はからだのどっかに宿る。

筋肉とか、臓器とか。

頭や言葉で説明するより、

からだの感覚の方が、よっぽど早くシグナルを送ってくる。


音楽や匂いが、

ある特定のメッセージを言葉よりも早く伝えるのと、

それはちょっと、似ている。


あ、これ無理って感じるような、からだからのシグナルが来るようなことは、

だいたい、やめといた方が良い。


きっともっと楽なやり方や方向があるよって、

思える心の余裕が欲しい。


それには何が必要かというと、、、


まずは休息。

そして、時間。

時間の余裕。


それがないと、からだのシグナルを聞き逃す。

だから休むことは、サボってることではない。


日本人のみんな、もっとどんどん、休みを持とう。


たとえどんなに良くなりたいという気持ちがあっても、

「禁止令」は、苦しいし、必ず反動がある。

からだや心に悪いから、〜〜しちゃダメ!と自分に何かを禁止しても、

ほとんど、成功に終わることはなく、

疲れるのみならず、

リバウンドで、しちゃダメなことを、結局大いにやってしまうってことになりがち。


だから、無理して、ヤマ・ニヤマ(ヨガ哲学)みたいな、

言葉が先にありき、な、道徳観に縛られることはやめた方がいい。


ゆっくり休んで、美味しい物を、おいし〜って食べて、

お風呂に入って休み、

自分ができること、自分の身の丈に合ったことを、

居心地良いと思える程度にやりながら、楽に生きていこう。

それを自分に行うと、どんどん他者にも、優しくなれるから。


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2月以降のクラスのお知らせ。


2月24日(土) 陰ヨガが自分でできるようになるための1日ワークショップを開催します。

http://shakti-mandir.com/2018/02/diyyinyoga/ 


また、3月と4月は、タイマッサージが1000円オフで受けられますよ!

セッション予約は2ヶ月先まで満員になりがちですので、早めにお問い合わせくださいね。

http://shakti-mandir.com/specialclass/ 


ここ何年か、多くのプライベートセッションをしてきました。

たくさんの方々の、様々な人生の旅路を少しでも共に歩んだり、

そこからどんどん変容されていく姿を見届けさせて頂けること、

私の方が、感謝の気持ちでいっぱいです。


プライベートセッションは、お話だけで終わることも結構あります。

そんな日はヨガをしなきゃって思うこともなく、

ただ共に同じスペースにありながら、

お互いを通して、

何かの見通しをつけていくことが、道、だと感じています。



at 22:54, shakti-mandir, 1. スタジオお知らせ/ Studio Announce

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2018年は"ma-ika(マ・イカ)"瞑想

Happy New Year!

 

皆さん、明けましておめでとうございます。

私の新年は、ゆっくり明けました。。。

まだ今でも「明けたばかり」な感じがしますが、

もう今日は、1月5日です。

 

クリスマス休暇中、カナダの島にいました。

1月2日にカナダから日本へ帰国しましたが、

2日は満月だったのですね。

大きなまるい月が、飛行機から見えました。

 

ところで、

日本では、ニューイヤーのカードなんかに、

「A Happy New Year」

と書いてあるものがありますが、

これは、正しい英語ではありません。

 

挨拶で言うのであれば、

「Happy New Year」が正しいのです。

 

なんで?

 

だって、「誕生日おめでとう」だって、

A Happy Birthday

とは言わないでしょ?

 

Happy New Year に、A をつけたい場合、

"Have a happy new year" みたいに、文章にする必要があるのですね。

 

私も時々、英語でも日本語でも、色んな間違えをします。

特に漢字がとても苦手!

 

今まで通訳しながら、

同時にホワイトボードに漢字を書くことが何度かありましたが、

大勢の前で何度漢字を間違えたことか。

間違えると思うと、血圧が上がる。

ドキドキして、赤面したり。

完璧にやりたいと思えば思うほど、間違えたり!

 

今年はゆっくり明けた新年でしたが、

年末から、練習している瞑想があります。

 

それは、ma-ikaマントラ瞑想。

「ma-ika(マ・イカ)」 と頭で唱えながら、行う瞑想です。

 

これは、サンスクリット語ではありません。

なんか英語やカタカナで書くと、それっぽく聞こえるけど、

実はこれ、

「ま、いっか!」と言う意味です。

もちろん自家製のマントラ瞑想です。

神聖? ないでしょ、神聖さは(笑)。

 

「ま、いっか」マントラ瞑想は、

瞑想を終えた後も、

日常生活でも唱え続けることができます。

是非、練習してみてください。

きっと、人生が楽になる、かもしれません。

 

今年も皆さん、素敵な一年を!

私の2018年は「OPENスペース」で、

流れてくるものを、好奇心を持って楽しみにしています★

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道草

2017年のヨガのクラスが、今日21日にて、終了しました。

 

今年もスタジオで指導をしてくれている他の先生たちに助けられながら、

一年分のクラスを終えることができました。

 

今年ヨガに参加してくださった生徒の皆さん、

指導をお手伝いしてくださった先生方、

本当にありがとうございました。

 

 

先日、17日(日)には、年末ヨガワークショップを開催しました。

約18名の方が、陽のヨガ、陰のヨガに参加してくださいました。

 

若い頃は、年末になると「太陽礼拝108回」、やっていました(笑)。

今は、やりません。

やると爽快感と達成感がありますけどね。

 

年末ヨガだからといって、何か特別なことをするわけではなく。

 

ただ、節目というのは、

やっぱり、色んなことを考えさせてくれる、きっかけを与えてくれます。

 

ちょっとした、心と体の整理整頓、みたいな感じです。

 

そのクラスでも、お話したのですが、

人生で、様々な問題に遭遇した時、

その原因を追究するのではなく、

その意味はなんだろう、と考えること・・・。

 

これは、河合隼雄先生の書いていたことだったと思う。

 

「なんでこんなことが自分に起こったんだ!(原因)」

というものの見方は、「悪者探しになり、攻撃的」。

そして心は、過去に向かいます。

 

因果関係というのは、

ひとつのこと(原因)を、ひとつのこと(結果)につなげることしか、しません。

 

 

でも、「意味を問う」ことをしてみると・・・。

それは、その出来事は自分に「何を教えてくれているんだろう」と、問うことでもあって・・・。

その出来事に関連する様々な人間や事柄、置かれた状況に、関係性を持たせはじめる。

 

私個人的には、

「意味を問う」ことで、「好奇心」が生まれる。

好奇心を持って、問題を見ることができる。

 

そして「今」起こっていることに、意識が向きます。

 

 

ヨガとは、今起こっている現実と、あるがままの自分と、親密になることです。

 

 

2018年の私のテーマは「道草」だと、伝えました。

 

道草をすることで、その道をきわめることができるって。

そう言ったのも、河合隼雄先生だったかな?

 

おもしろいなって思う。

 

なにか、道をきわめようと、思ているわけではなくて。

 

もう少しシンプルに言うと、

もうちょっと、ゆっくりペースで行きましょう、というようなことです。

 

 

雑草について調べていて、

人に踏まれないと、育たない雑草があることを知りました。

 

笑える。

 

だけど最近空き家が増えて、

人に踏まれなくなったそんな雑草たちは育たなくなり、

別の種類の雑草がより多く育っている地域があるそうな。

 

道草してると、そんなことも教えてもらえて・・・。

そんなことから学ぶことの方が、よっぽど多い。

 

手間がかかる生き方するか、

手間をかける、生き方するか。

 

「が」と「を」で随分意味が違うけど。

どんな生き方をするか、

ある程度自分で決められる世界に住んでいる私たちは、幸せだな。

 

 

「道草」。結構好きなテーマです。

便乗したい方がいたら、是非どうぞ。

 

2017年、お世話になった方々、ありがとうございました。

そしていつも支えてくれている家族にも、感謝しかありません。

 

皆様が良いお年を迎えられますように。

祈りを込めて・・・。

Hari Om Tat Sat.

 

 

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【2018年のヨガ情報】

ワークショップは1/7(日)に開始します。

一般クラスは1/9(火)開始。

2018年より、所々、中級レベルのクラスを入れています★★

 

 

--- ワークショップ&トレーニング情報 ---

● 1/7(日)「ヨガデビュー ワークショップ」 初心者向け。

    ヨガの指導者で、初心者への指導を学びたい方も是非どうぞ。

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● 1月20日(土)、1月21日(日)@ 10:00-16:00
    1月27日(土)、1月28日(日)@ 10:00-16:00

  陰ヨガ、アーユルヴェーダなど、「様々な練習法」を学びます。

  詳細はリンクをクリックしてね。
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● 2/2(土) 〜 2/4(日)「陰ヨガ指導 応用編
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● 2/10(土),11(日), 12(月・祝)
  ダン先生の「中級レベルのシークエンス

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● 3/8(木), 9(金)「指導者スキルアップ

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●5月「ヨガ指導者 ファンデーションコース(30時間)

 

 

at 19:25, shakti-mandir, 1. スタジオお知らせ/ Studio Announce

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特殊なニッポン

「個の尊重」とか、「多様性」という言葉がある。

中学生くらいになると、学校でも使われ出す言葉かもしれません。

 

「人権教育」なんていうのもあって、

その授業では、人権について、作文やポスターを作成しなければなりません。

 

中学生くらいの年の子の何人かは、

結構悩みながら、

そういった作文やポスターに取り掛かります。

 

桑名市の市役所に行くと、

その作品が冊子になったものが、置いてあります。

 

「みんな違ってみんな良い」

なんていうキャッチコピーのポスターには、

黄色い髪の毛、

青い目、

茶色い肌、

黒い髪、

天然パーマ、

など、様々な風貌の子どもたちが、

仲良く手を繋いでいる姿が、描かれていたりします。

 

一方、学校では、

頭髪チェックがあり、

もともと髪の毛の茶色い子は、

髪の毛の色を、学校に登録しなければなりません。

また、縮毛矯正をしている子は、

それも登録しなければなりません。

「みんな違ってみんな良い」んだけど、

少しでも違うなら、登録しておきます。

 

これって、一種のダブルバインド?

 

ちなみに、「にこにこ大百科」に以下のようなダブルバインドの例がありました。

おもしろかったので、引用してみます。

 

「黙ってないでなんとか言ったらどうだ!」と言われたので
 口を開いたら「言い訳など聞きたくない!」と余計に叱られた。

 

⊆最圓鬚靴銅犬蕕譴榛櫃「なんで失敗したのか分かってる?」と聞かれ、
 「○○だからです」と理由を説明したら「それが分かっててなんで失敗するんだ」と余計に叱られる。

 

仕事の内容で上司・先輩に相談したら、「それぐらい自分で考えろ」と言われたので
 自分で考えて仕事を行ったら後から「なんで勝手に実行したんだ」と叱られる。

 

 

こういう、ダブルバインドって、

人を精神的に、不安定にする傾向があると言います。

 

そりゃそうでしょう・・・。

 

日本人は、

西洋からの影響を受けて、

個人の尊重、多様性、と言いながらも、

 

本当は、

「集団の尊重」

「一様性」

を大切にしていくべきだと教育されてきている。

 

「個」よりも「集団」重視の社会。

集団に俗するものが作る社会が「内社会」。

 

「内社会」と「外社会」では、

人間関係や、それぞれが担う役割も、違ってくる。

 

「内社会」では、「個」ではなく、

その内社会での「自分の役割」に基づいて、振舞わなければならない。

 

学校なら、「先生」。

家族なら、「お母さん」。

会社なら、「部下」。

など、様々な役割がある。

 

「個」である前に、その役割を果たすことの方が、重視される。

「立場」というものがある。

 

日本人は自分や相手のことを、

「私(I)」や「相手の名前」ではなく、

「その人の役割」で呼ぶことが多い。

 

これは、「甘えの構造」(土居健郎)に書いあったこと(だったような気がします)。

 

「先生がやってあげるからね」

「お父さんが連れて行ってあげるよ」

「社長、お元気そうで!」

 

など。

 

で、役割がはっきりしない時などは、

主語が省かれて、英語でいうところの「I(私)」がない文章が多い。

 

「おなか空いた」

「テレビ見たい?」

「駅に行ってくるわ」

 

まるでそこには、

私(I) = 個、が存在してはいけないかのように・・・!

(自己が存在しない)。

 

「言葉は文化」なので、言葉を考えると、いろんなことが、見えてくる。

 

諸富祥彦先生が、

「トランスパーソナル心理学入門」で、

「個としての自分の確立は、日本人にとっては困難な課題」だと言っています。

 

内社会、集団社会の中では、

「自分を捨てて、ただ人に受け入れられるための"仮面"を演じ続け」なければならない。

 

そのために、

「やさしい暴力」、「やさしい虐待」に、誰もがさらされていると。

 

英語では、"Passive Agressive" という言葉がありますが、

直訳すると「受け身の暴力」という意味。

 

海外の人と仕事をしながら、日本を外側から見てみると、

その姿が、明らかになってきます。

 

例えば、「すみません」という言葉や、いつまでも終わらないお辞儀。

 

「すみません」「ごめんなさい」と言われた側は、

「いええ、こちらこそ、すみません、あなたが謝る必要ないですよ」

というような、申し訳ない気持ちになる。

 

「すみません」と言われたことで、

「すみません」と謝らなければいけない気持ちにさせられる。

 

お辞儀でも、何度も繰り返すので、

先にお辞儀をやめるのが、悪いような気持ちになる。

 

「恩返し」とは良い言葉だけれど、

ズボラで恩を返すのを忘れたりすると、

結構な悪口を、陰で言われたりもする。

 

ギフト交換の文化(お歳暮など)は、相手に恩を着せることで、

エンドレスに続く人間関係を形作ると、昔誰かが言っていた。

 

 

外国人の人が、旅館などで靴を脱ぐのを忘れてしまったりすると、

日本人の従業員が腰を低くして駆け寄ってきて、

「すみません、靴を・・・」と焦りながら、

そして申し訳なさそうにしながら、

そしてちょっと悲しそうな笑顔で謝ってくる。

 

こういう場面も外国人の人には、さっぱり意味が分からない。

 

「なんで普通に靴を脱いでください」と言えないの?

と聞かれる・・・・。

 

これでは靴を脱がなかった側に、ちょっとした罪悪感が残る。

ただそれは、日本人の従業員が意図的に、その人に罪悪感を感じさせたい、わけではない。

日本人の従業員も、その場で「ふさわしい振舞い」をしていない人に注意することに、

きっと、居心地の悪さと、申し訳なさを感じている。

 

書いてて、息苦しくなるな〜 ・・・。

 

「日本人は、すべてのものが場の力の被害者」と、河合隼雄先生は言っている・・・・。

「場の力の被害者」。

 

集団社会で、その置かれた場で、いかに振舞うべきか・・・。

誰も本心から、それをやりたいわけではなくても、そう振舞わなければ調和が崩れる。

というか、それ以外のやり方を、知らないし、教えてもらえない。

 

学校の先生は、生徒の頭髪の色を登録したいわけではない・・・。

生徒は人権教育のポスターを描きたいわけではない。

 

「個人の尊重」?

その意味さえも、分からない。

 

「多様性」?

みんなが違ったら、不安で仕方がない。

 

キリスト教の国は、個と神の関係が大切。

自分がどう生きるかで、天国に行けるかどうかが決まる。

個の尊重の歴史は長い。

 

日本人は、言葉だけを借りてきてしまった・・・。

だから、私たちは混乱する。

そして日本は他の国の人々にとって、

特殊で意味が分からない国となる(なった)・・・。

at 23:05, shakti-mandir, ★ プライベート / Private ★

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