点から線へ、線から面へ

善悪とは、

立場を変えると、善が悪になり、悪が善になることがあります。

 

ヨガのトレーニングの中でよく話題になるのが、

狼とヤギのお話。

 

ヤギの子どもが狼に食べられてしまったら・・・。

 

ヤギにとっては、狼は悪い奴。

大切な子ヤギを食べられてしまったのだから。

だから狼のやったことは、悪でしかない。

 

だけど狼にとっては、子ヤギは大切な食糧であり、

生きていくには不可欠なもの。

この観点からいくと、狼にとっての狼の行為は、善なのです。

 

もちろん、それを悪だと感じる狼がいるとしたら、

狼はベジタリアンとして生きる道を選べば良いのであって・・・。

 

価値観とは、見方次第でその価値が、

良くなったり、悪くなったりするのです。

 

ヨガの先生でも、

すべての生きとし生けるものに苦しみがありませんように・・・

と、マントラなんかで唱えていたり、

動物はかわいそうだから食べません、とかいう生き方してても、

 

世界各国を飛び回って指導している先生なら、

飛行機に乗っていろんな国へ行くわけで、

 

自分のコミュニティだけでヨガを教えている以上に、

自動車や空での移動に伴う環境汚染や、

飛行機のプロペラで鳥たちの命を無暗に奪ってしまうような行為に、

頻繁に加担しているのです。

 

それが、悪だと言っているわけではなく、

 

多面的にものを見るということは、

私たちが、善であり、かつ、悪でもあり得る、という観点から、

ものを見ることでもあるのかな、と思うのです。

 

ジャイナ教の人たちは、

殺生はいけない、としていて、

生き物を吸い込まないように、口と鼻を布で覆ったり、

目に虫が入って死んでしまわないように、眼鏡をかけたり、

虫を踏んづけてしまわないように、

自分の前を箒(ほうき)で掃いから、歩くようにしたりしている。

 

こういう行為はアヒンサーといって、

生きるものを傷つけないこと、という戒律なのですが、

 

水の中の微生物を飲んでしまうくらいなら、

一生水を飲まない方が良いとか、

 

最終的には断食をして、

植物を含める生き物を一切食べずに死ぬ、ということが、

望ましいとされています。

 

結果、自分の命は、なくなってしまいます。

それが善か悪かを決めるのも、ものの見方次第です。

 

 

ここからちょっと話題を変えて。

 

去年から、日本は「マイナス金利」というのを導入する時代になりました。

そして、アメリカの大統領がトランプになりました。

日本のこれからは、どうなるのかなと、不安になることも、

ニュースを見ていると、あるのではないかと思います。

 

高齢化社会もどんどん進み、

年金なんてまったくもらえないような時代が来るのは明らかです。

 

二十代くらいの若い人たちでも、そういった不安から、

年金保険に入っている人が多いみたいで、驚きました。

毎月1万円ずつ積み立てして、65歳になったとき、それを活用する、というようなもの。

 

ものの善悪、と同じように、

何でも、価値観というのは、とても主観的なものであって、

また、その人それぞれの性格や、社会通念が、そこに反映されています。

 

25歳から45年間、毎月1万円こつこつと積立することで安定を築く人。

 

自分に投資をしてスキルをつけ、自分が提供できるものを増やすことで、収入を増やす人。

 

お金は掛け算で増やす!というように、お金や資産に富を生んでもらうような投資を考える人。

 

他にも、経済的な安定を築くための方法はきっと数多くあるのでしょうが、

 

自分にはどの方法が一番合ってるかなっていうのは、

イメージしてみると、体の感覚で、ああ、これならできるかもっているのが、あるような気がします。

 

善悪、は、プラスとマイナスで、比較しやすいことかもしれないけれど、

世の中には、善悪以外にも、いろんな価値観があって、

 

ひとつの方向からのみ、それを見るのではなくて、

多面的にものごとを見ていけるようになると、

今まで気付かなかったような思いがけない生き方が、見つかるのかもしれません。

 

私のメンターが言っていました。

 

「点でものを見ず、線でものを見よ。そして線から面へと広げなさい」と。

(真弓篤氏の言葉です)

 

おまけ:

こんなところで、ほっと一息、も良いな〜!

 

 

at 21:33, shakti-mandir, ★ プライベート / Private ★

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出張ヨガトレーニング : Yoga Delivery

ナマステ♡

 

シャクティモンディヨガでは、2016年より「出張ヨガトレーニング」をスタートしました。

生徒さんの自宅で、お友達を少人数集めてヨガのトレーニングを開催することができます。

 

例えば2016年は岡山の生徒さんのご自宅にて、

リストラティブヨガのトレーニングを2日間に渡り行わせて頂きました。

生徒数は3名で、スタジオではないので、時間に厳しく縛られることもなく、

和気あいあいと、のんびり楽しくクラスを開催できました。

 

(トレーニング中のランチ風景)

 

また、クラス後も何度も生徒さんよりメールを頂き、可能な限りフォローアップしています。

 

参加された方々の人生が、ヨガを通して良い方へ変わっていく姿や、

それぞれのコミュニティで、小ぢんまりと、心の通ったヨガを伝えておられる様子を、

トレーニングの後にも報告して頂いていて、とてもうれしく思っています。

 

また、どんなトレーニングでも、卒業された生徒さんの活躍は、

全面的にサポートしていきたいと思っています → ♡ 卒業生の活動

 

大きなことをしなくても、良い。

自分の居心地の良い範囲で、輝いていってください。

 

出張ヨガトレーニング - 例えば自宅でヨガのトレーニング

その他トレーニング情報は、以下のリンクをご覧ください。

 

ヨガティーチャートレーニング

 

 

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Hello 2017年 - 転がる石か留まる石か

新年、明けましておめでとうございます。

今年のお正月はとても暖かく、春のような日差しがうれしいですね。

 

"A rolling stone gathers no moss" という諺があります。

 

「転がる石には、苔がはえない」。

 

イギリスでは、

「仕事や住まいを転々とする人は、豊かになれない」という意味で使われている諺です。

 

でもこの同じ諺がアメリカでは、

「いつも活発に変化している人は錆びつかない」という意味で用いられています。

 

同じ文章でも、捉え方で、意味が変わります。

 

転がるのか、留まるのか・・・。

 

転がるのが得意な人と、

留まるのが得意な人がいます。

そして得意不得意は、そう簡単に変えられるものではありません。

 

また、転がる人も、留まる人も、

どのくらいそうするのかは、

年を取るごとに、変わっていきます。

 

転がるのが好きな人でも、

時々、人生には止まらなきゃならない時があって、

止まって自分らしくないことをすることから、得る苔があるかもしれません。

 

ずっと留まっている人は、苔だらけになって、

本当の自分の姿が分からなくなっていることも、あるかもしれません。

 

どのくらい転がり、どのくらい留まるか・・・。

 

もう動けないくらいにもなりたくないし、

転がりすぎて、寒々しい状態でもいやだな。

 

等身大とか、

身の丈にあった、

という言葉があるけど、

 

苔の多さも、それで良いと思う。

多すぎず、少なすぎず。

 

まったく動かないこともなく、

飛び回りすぎることもなく。

 

必要な苔だけが、生えていたら良い。

 

同じような諺にはこんなものもありました。

「度々植えかえる木は根が張らない」

「流れる水は腐らず」

「繁昌の地に草生えず」

「人通りに草生えず」

 

 

豊かで、錆びつかない、そんな一年になりますように。

今年もどうぞ、よろしくね。

Hari Om.

 

住吉神社での初日の出

 

 

【2017年前半 ヨガ】

 

1月7日(土)指導者フォローアップWS

1月10日(火)一般クラススタート@10:15

1月29日(日)今年こそはヨガデビュー 1-Day WS

 

2月24日(日)エックハルトトール「Power of Now」WS

 

3月 ニードヨガティーチャートレーニング

200時間トレーニング受講者はこのトレーニングを半額で受講可能。
但し、次の200時間トレーニングのお申込みをすでにされている方と、

1年以内に200時間を卒業した方のみ対象となります。
例)2017年3月のニードヨガトレーニングを半額で受講可能な方は以下のようになります。
– 2017年4月スタートの200時間にお申込みされた方。
– 2016年3月以降に200時間を卒業された方。

 

4月 全米ヨガアライアンス200時間コース開始

 

5月 リストラティブヨガYTT

 

5月31日〜6月4日 ヨーナス先生 ヨガセラピューティックTT

 

 

 

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言葉という枠組みを超えて

昨日まで1週間、冬休みを頂いていました。

 

今日は久しぶりに、ヨガのクラスを3つ開催しました。

改めて、ヨガを共有することが、何よりも好きだなと感じた。

 

生徒のみんな、ありがとう。

 

ヨガを指導する、という仕事だけど、

ヨガも音楽みたいに、

コミュニケーションの場だと感じている。

 

体を使って行うヨガ(ハタヨガ)だから、

体を観察して、思考を使って、

どんなアクションをするべきなのかということを、

もちろん、理解した上でガイドするのだけど・・・。

 

それとは別に、

私は自分の五感を使いながら、

それぞれの生徒さんが、どんな世界を奏でるのかを、

感じることが大好きだ。

 

「味わう」という言葉が、しっくりくる。

言葉とか思考を超えたところで、その人を知る作業みたいな感じ。

 

頭で理解しようとしない時は、

好奇心と可能性で、自由な広がりが生まれる。

その自由な広がりの中で、生徒さんも、自由に自己表現をして、

思う存分、自分を「味わって」もらいたいなって、思います。

 

プライベートセッションでは、お喋りの時間も多く取っている。

お喋りしながら、その人の質を見ていくと、

ああ、こういうポーズを今日はやるといいんだろうな、と、

ピンとくる機会を多く与えられる。

 

言葉とは、便利なものだけど、

言葉とは、体験に枠組みを作るものなので、

言葉で理解したり説明したりしようとした瞬間に、

体験そのものとは、何か違うものになってしまうことがある。

 

ハタヨガ(体を使って行うヨガ)のクラスは、

生体力学や、アラインメントといった大切な事柄を、

言葉を使う思考にて理解することが、とても大事なことで、

それを度外視して、感覚だけでやってしまうことは、

安全な指導にならない。

 

だけれど、それとは違うレベルで、

言葉以外のところで感じたいことの方が、実は、より多かったりする。

 

マントラを唱える時、

私はそれらのサンスクリット語の一語一句の意味を知らない。

だけれどマントラで、涙が流れてくることがある。

マントラで伝わる音の波動と感情が、

何かを言葉で伝えるよりも、多くを伝えてくれることがある。

 

それと、同じような感覚で、

ヨガを通して、人から伝わってくるものがある。

それがその人を理解するのに、言葉よりも、より多くを教えてくれていて、

私はそのやり方で、人を知ることが幸せであり、それによって癒されている。

生徒のみんな、ありがとう。

 

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安定しようとすることなかれ

「方法論としてのヨーガを超え、すべてのものから解放されましょう。

 何もかも、良かれと思ったことも、捨ててしまいましょう。

 必要不可欠だと思った時点で、すべては障害となってしまうのです。

 意図的に捨てるのは無理かもしれません。

 けれど、自分にとって、もはや意味を成さないのであれば、

 おのずと姿を消していくはずです」

(「ヨーガの真実」マーク・ウィットウェルより)

 

 

世の中には、確実なものは、ひとつもありません。

唯一あるとすれば、

この世は不確実で、常に変化していて、安定しているものなど、ひとつもない、

ということのみが、確実な事実でしょう。

 

そんな不安定な世界の中で、

人は、

安定したい、

安全でありたい、

と願いながら生きています。

 

でも、

「確実な安定や、安全なんて、絶対にあり得ない」、と気づいたとき、

色々なものが、剥がれていって、

 

そこには・・・、楽がある。

 

人は、暮らしの中で、

住処(すみか)や、

パートナーや、

家族や、

仕事、

を通して、

 

安定を求めるし、

安定が得られたら、その状態を、変えたくないと思う。

 

そのために、みんな、すごく頑張っている。

 

でも、変わらないものなんて、ひとつもないし、

変わらない人なんて、ひとりもいない。

 

変わっていくものを、無理に変わらないようにしようとすればするほど、

どんどん、苦しくなっていく。

それでも、一度手に入れた安定は、手放したくないから、

必死になって、しがみつく。

 

「”必要不可欠”だと思った時点で、すべては障害になる」

ああ、その通りだと、

夜空を見ながらの散歩途中、体全体で、じわりと感じたのです。

 

 

ヨガの指導者であるマーク・ウィットウェルは、

「良かれと思ったことも、捨ててしまいましょう」と言っている。

 

私の先生であるスティーブ・ロスも、同じようなことを言っていた。

「学んだことは、巻き戻して、捨てなさい」みたいに。

 

何か良いものであったにせよ、

それらが、自分に「安全」や「安心」を与えてくれていたものだったにしても、

いつしか、そういったものたちも、形を変えたり、自分のもとを去っていったりする。

 

これは本当に、自然な姿なんだよね。

 

そして、私たちが、「今」、「ここ」にいて、

大地を踏みしめる時、

 

生きるということが、

いつもよりも、少し確実に思えるのは、

 

「必要不可欠」だと思っていたものが変化したり、過ぎ去ったりしていっても、

ここに生きて、歩んでいくことができるという、

その力が、私たちには、与えられていると、気づくからかも知れません。

 

その時心が、楽になる。

 

そしてそれが生きることに「しっくり」くる瞬間で、

この「しっくり」という感覚は、

何かを失わないために、闇雲に未来の計画を立てている時には、

決して感じることは、できません。

 

 

 

 

 

at 21:12, shakti-mandir, 5. ヨガ哲学

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Mind Games

loka

samasta

sukhino

bhavantu

----

あらゆる場所の

あらゆる存在が

幸福で自由でありますように

そして

私の人生における

思考、言葉、行動がすべて

存在の幸福と自由に

貢献しますように

----

 

13歳くらいの頃から、生きるとは、

どういうことかを、考え続けてきた。

同時に、

シャボン玉みたいに、消えてなくなってしまいたかった。

 

学校の先生に命や人生の意味を聞いたけど、

教えてもらえなかったし、

押さえきれない気持ちがあって、詩を書いていたら、

勉強せずに遊んでいると、怒られた。

・・・パンキッシュな子どもだったなと思うけど。

生きているのがとても辛かった。

 

哲学をしてしまう子は、色々問題があるから、

そうしてしまうのだと、大人になってから知らされた。

「形而上学」とか、そういう言葉にとても惹かれた高校時代。

 

そこからずいぶん長い時間が経って、40歳を過ぎたら、楽になっていた。

そこに来るまで、色々なことを勉強して、色々なことをやった。

 

絵を描いているときと楽器を弾いているときは、完全なる逃避の世界だった。

小説を書いて文学賞に応募して、

最終選考までいったときは、これで何かが報われるみたいに舞い上がったけど、

最終選考で落ちて、また振り出しに戻る。

 

最終選考でお会いした作家の中に、中沢新一がいた。

彼が私の作品に興味を持ってくれていたけれど、

中沢新一が誰かなんて、知らなかった。

 

帰り道、松山の小さな本屋で中沢新一の本を探してみた。

「ブッタの夢」

中沢新一と河合隼雄がコラボで書いた本。

 

帰り道、電車で読んで、

「常泣菩薩」、いつも泣いている菩薩様、のところで、涙が出た。

常泣菩薩は、観音菩薩のことだった。

人の苦しみを見ているのが耐えられなくて、泣いてばかりいる菩薩様のことだった。

 

カナダに帰ると(その頃はまだカナダに住んでいた)

元夫の友達で、曹洞宗の僧侶だった人が、

「座禅に来なさい」としつこく誘ってきた。

よくわからないけど、行ってみたら、

般若心経を英語で読んでいる。

そこで初めて、般若心経ってこんなことを言っていたの!と、

馴染み深いお経の意味を・・・、英語で知った。

 

30代になっても試行錯誤は続いていて、

ウェブデザインスクールに行ったり、

日本語講師のスクールに行ったり、

宅建の勉強したり、

通訳学校行ったり、

会社員しながら、色々やってた。

 

シャボン玉みたいに消えてしまいたい、とは、

もう思わなくなっていたけど・・・、

 

ただただ、「良くなりたい」と、思い続けていた。

 

「良くなりたい」

 

どういうことなのだろう。

 

自分が好きではない、ということだった。

 

なんで自分はこんな自分なんだろう。

もっと良い人になって、もっと良い人生を送って、満たされたい。

 

禅堂で瞑想してても何も感じずつまらなかったけど、

ヨガのポーズをやった後は、気分が良かった。

 

いつしか、ヨガのポーズをやった後に静かに座ることが、

めちゃくちゃ気持ち良くなって、瞑想が大好きになった。

何か、時々、ちょっとマシになった感じがしてきた。

良い人になれた、みたいな。。。

 

それでも、まだ、ダメだった。

 

やっぱりダメ過ぎたから、

色々やりまくった。

 

マントラを唱え、

完全なベジタリアンになって、

様々な浄化法に挑戦し、

心理学の本を読み、

哲学の本を読み、

セミナーへ行き、

毎日1時間瞑想をして、足の神経に傷がついた。

ひとりで色々儀式もやった。

 

愛することについての本も読み、

「きちんと」愛することができない自分が、嫌いだった。

 

その時には、こんなマントラを唱えた。

 

loka

samasta

sukhino

bhavantu

 

祈りだった。

祈っていた。

----

あらゆる場所の

あらゆる存在が

幸福で自由でありますように

そして

私の人生における

思考、言葉、行動がすべて

存在の幸福と自由に

貢献しますように

----

 

40歳になったころ、

OK-ness

という感覚が、はじめて心に訪れた。

 

どんな状態であっても、大丈夫、という、

はじめての感覚だった。

 

それは、人との関わりの中で生まれてきた感覚だった。

自分にとって大切な人、近い存在の人、距離がある人でも、

その人が、そのままのその人であって欲しいという思いが、「湧き出てきた」。

皆が、自由に生きて欲しいという思いが・・・。

同時に、自分は完全なもの、だということが、わかった。

 

ヨガとか瞑想が助けになったのか、

自分が年を取って、大らかな人になったのか、

その両方なのか、分からない。

 

色々がんばってやってたことも、やらなくなっていた。

 

人から相談を受ける立場になって

 

「何もしなくても、大丈夫」

とか、

「変わろうと思えば思うほど、変わらないから、そのままの自分で良いんだよ」

とか、

気分が落ちても、自分が嫌いでも、「そんな自分がいても良いんだよ」

って、言ったりしている。

 

だけど、「良くなりたい」と思う気持ちがそこにあるなら、

祈ることは、悪いことではないと、

祈ることは、素晴らしいことだと、

 

一年の終わりに、昔の自分を思い出し、長々と書いてしまった。

 

そして今日は、John Lennonの命日だ。

彼の詩は、十代の頃から、私を何か「真実」のようなものへ、導いてくれた。

 

"Mind Games"

という曲がある。

 

人は、マントラを唱え、平和を願ったりしている。

それもすべてマインドゲーム(心のゲーム)だ。

だけどみんな知っているはず。「愛」こそが答えなんだ。

「Yes」が、答えなんだ・・・

 

と、彼は唄った。

 

細胞が生まれ変わるみたいに、私も変わった。

変わっていくと、どんどん違う役割を与えられる。

あまり恐れず、

「変化」をも、

好奇心を持って受け入れられる。

 

John Lennon "Mind Games"

https://youtu.be/IhhJqJV_u6M

 

"Mind Games"
 

We're playing those mind games together
Pushing the barriers planting seeds
Playing the mind guerrilla
Chanting the Mantra peace on earth
We all been playing those mind games forever
Some kinda druid dudes lifting the veil
Doing the mind guerrilla
Some call it magic the search for the grail

Love is the answer and you know that for sure
Love is a flower you got to let it grow

So keep on playing those mind games together
Faith in the future out of the now
You just can't beat on those mind guerrillas
Absolute elsewhere in the stones of your mind
Yeah we're playing those mind games forever
Projecting our images in space and in time

Yes is the answer and you know that for sure
Yes is surrender you got to let it go

So keep on playing those mind games together
Doing the ritual dance in the sun
Millions of mind guerrillas
Putting their soul power to the karmic wheel
Keep on playing those mind games forever
Raising the spirit of peace and love
(I want you to make love, not war
I know you've heard it before)

 

 

at 22:54, shakti-mandir, ★ プライベート / Private ★

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自宅でヨガのティーチャートレーニング

12月の最初の週末、岡山の庭瀬というところで、

リストラティブヨガ15時間のティーチャートレーニングを行いました。

 

開催場所は、生徒さんのお家。

生徒数、3名。

トレーニングの時間もゆるゆるしていて、

ご飯に1時間半も時間を取ったり、

お茶飲んでついつい喋りすぎたり。

 

ヤギのシナモンと、一緒に・・・。

 

人数が少ないと、

その人の持っているものを知る時間がたっぷり取れるし、

 

そこから湧き出てくる好奇心で、

その人を味わうように、

お互いのミラーニューロンが、

活発に反応するから、みんなが感動して泣き&笑い。

 

こういうトレーニングを行うと、

自分のこれからの生き方がまた、

もう少しだけ、明確になっていくような気もする。

 

岡山の皆さん、ありがとう。

毎日、幸せな時間でしたね。

 

ゆるんで、食べて、ゴロゴロしながらの学び、最高です。

 

"リストラティブがこんなに自分を緩めてくれるなんて知りませんでした"

"そして、自分を知ると涙がでるんですね"

(生徒さんのメールより)
"まだまだ知らないこといっぱい”

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何にも持っていけない瞑想

日々のヨガと瞑想の練習の中で、

 

時々、「何にも持っていけない瞑想」を行っている。

 

それは、

今、すべての意識や感覚器官が認識していること、

そのどれをも、

自分が死ぬ時が来たら、持っていくことができない、

 

自分がこの世から消える時が、

いつか来た時に、

 

どんな風景も、音も、匂いも、

悩みも、喜びも、

 

何にも持っていくことができない、

 

それを、瞑想中に、イメージするというものです。

 

本当に、いろんな音に、意識を向けてみる。

自分の頭の中に、意識を向けてみる。

瞼を通して感じる光に、意識を向けてみる。

 

それも、全部、なくなってしまうのだ。

 

ああ、そこは、きっと静か、なのかもしれないと、思うのです。

あらゆるものが過ぎていって、

あらゆる人が、去っていき、

いつか自分も過ぎ行くもののひとつとなって、

そこには、自分というものが、いない世界が、残ります。

 

 

「何にも持っていけない瞑想」をやって、

そこから一日を始めると、

 

ひとつひとつの体験が、とても貴重に思える。

なんでもないことが、とても、大切だと気が付く。

悩んでいるのが、もったいないと、感じる。

人を憎んだり、責めたりする生き方は、したくない。

 

この、なんでもないような、瞬間瞬間が、満たされている。

 

時間は、あっという間に過ぎていく。

少なくとも、そういう風に、感じる。

 

先日20年ぶりに、昔の友達に会ったとき、

時間は頭の中で、20年前にタイムスリップした。

 

実に、頭の中って、時空の枠組みを超え、

光よりも早いスピードで、

動いている、ような気がする。

 

若かった頃、今よりもずっと向こう見ずだったけど、

純粋だったし、責任も何もなかった。

 

みんな、ふと気づいたら、今、ここにいた、という風ではないだろうか。

 

そのように、この先も、時間は過ぎていく。

 

そして、いつか、何も持っていけないその時が来る。

そこから人生を見た時、

今日という日を、

この瞬間を、

どのように生きるのか・・・。

 

 

心の中に、じわっと、にじみ出るように、

感じることが、あるのです。

 

 

at 00:04, shakti-mandir, ★ プライベート / Private ★

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