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ペインボディ(前回の続き)

「ペインボディ」について、昨日ブログを書いたのは、

最近つくづく、ペインボディ(またはサムスカーラ)の根は深いと感じる出来事が・・・、

「出来事」というか、

出来事によって起きてくる「ペインボディ」をキャッチすることが、

ちょくちょくあったからです。

 

ペインボディは、忘れた頃にやってくる。

(サムスカーラも同じ)。

 

もう、大丈夫だろうと安心している場合じゃない!

 

体でそれをキャッチしたら、

それがどこからやってくるのか、

「向き合う」。

 

これって、

「問題(闇) に飛び込んでいく」ようなことで、

かなりの勇気がいる。

 

過去に傷ついた痛みの記憶を、肉体が、覚えている。

その記憶(感情)によって言動を起こす私たち。

でもペインボディから起こす行動は、絶対に良い結果を生まない。

 

人は、それが分かっていても、

何度も何度も何度も、同じパターンを繰り返し、

何度も何度も何度も、同じ結果にたどり着き、傷つく。

 

でもある時、

「もう何が何でもその同じサイクルを繰り返すものか」、

と、心のむちゃくちゃ深いところで、決断する。

 

というか、決断しない限り、変わらない限り、

そのパターンを繰り返しては、

もうこれ以上、生きていけない。

 

そんな生き方はもう「無理」になる。

 

ここまで来るのに、すでにかなり苦しい。

 

そしてその先も、きっと苦しいぞ〜。

 

だって、

ペインボディと付き合うことは、

自分のすごい深い暗い部分に、

飛び込んでいく作業だからだ。

 

それって「闇」だから、

自分であっても未知の世界で、

とても怖いのである。

 

でも、

そうすることでやっと、

少しずつだけど、

いつも陥っていた罠に、

(それは自分がしかけた罠でもあるのだが)、

落ちないように、生きれるようになる。

 

そしてまた時々、ペインボディに振り回され、

でも、

振り回されてることに、

「気付く」タイミングが、

少しずつ早くなる。

 

そして闇の闇の闇に飛び込めば飛び込むほど、

ぽろぽろと剥がれていくものが出てきて、

例えば不安でも悲しくても、

(その結果、怒りがあっても)、

「大丈夫」みたいな気持ちになり、

 

すごい、腹がすわる。

何があっても、もう絶対たじろかない、という自信が湧いてくる。

そして、人生をこのまま信じていけるようになる。

 

これが、地に足がついた、と言う感覚なのかもしれない。

 

そんなことを考えていたとき、昔読んだOshoの文章が、

フェイスブックの「過去の思い出」で、出てきた。

 

Oshoは、この闇が「ハート」なんだと言っている。

そしてそこに、愛があるんだって。

 

そうだ。そうだよなって思う。

 

この愛は、損とか徳とかの勘定がない愛だ。

見返りなんてどうでも良い愛だ。

 

それを感じるには、自分の闇の底に飛び込んでいくことが不可欠なんだ。

そしてこれが、もうずっと長いこと、

この課題に取り組むのが、

自分のミッション(使命)だった・・・。

今も、そうだ。

 

自分の闇の深いところに行くと、

自分の光と闇、その両方があって、良いんだってことになる。

それが、自己統合なのかもしれない・・・。

 

このプロセスは、これからも、何度も繰り返していくのかな。

やっぱ、これが、私にとってのヨガかもしれない。

 

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"LET LOVE BE YOUR PRAYER (Part 5)"

Oshoの文章を、翻訳してみました。 

 

 

子どもの頃から人々は、芽を摘み取られてきた。

ハートに深く根付いていたはずの根が、切り取られた。

頭の方ばかりへと気を取られるようになり、

ハートが何を感じてるかを受け取れない。

だから人はもう長いこと、苦しい。

だから、愛を感じなから生きることができない。

 

その理由はこうだ。

 

愛はリスキー。

愛するとは、危険なこと。

なぜなら愛をコントロールすることなんて、できないのだから。

コントロールできないことは、安全ではない。

愛は自分でどうにかできるものではないのだ。

愛はどう展開するかも分からない。

愛がどんな方向へ向かっていくか、予測なんてできない。

それが何かに到達するのか、不毛であるのかも、誰も知らない。

それは、まったくの暗闇に飛び込むような行為だ。

だけど「根は」、暗闇の中でしか育たない。

 

もしも木の根が暗闇の深い場所へ伸びることを恐れてしまったら、

そして地下深くへ根を下ろさなかったとしたら、

その木は死ぬだろう。

 

暗闇の中へ深く伸びる必要がある。

 

大地の一番深いところで、

水や栄養を与えてくれる、一番深いところまで、行く必要がある。

 

「ハート」とは、あなたの、もっとも暗く深い場所だ。

それは真っ暗な夜みたいなものだ。

それは子宮のようなもの。それがあなたの、大地だ。

 

人は、自分の闇の部分を知ることを恐れる。

いつも光を求めている。

そうすれば、少なくとも、自分がどこにいるかわかるだろう。

そして、何が起こっているかを見ることもできる。

安全で、守られているような気がする。

 

でも、愛をもって生いる時、

それが、どんな可能性を含んでいるのか、

その愛がどんな結果をもたらすのか、

推測や計算をすることはできない。

 

愛は、結果ありきの行為ではない。

 

愛にとって、未来は存在しない。

「いま」しか存在しない。

 

いまに存在することはできても、

次の瞬間は推測することはできない。

 

愛を、計画立てることはできない。

 

社会、文明、文化、教会なんていうものは、

小さな子どもに、もっと理性的になれと教えている。

彼らのエネルギーをハートではなく、頭へ向かわせようとしている。

すると、ハートへ深く入っていくことが難しくなる。

本当は、とてつもない愛をもって、すべての胎児は生まれてくるはずなのに。

人が生まれるのは、愛というエネルギーの源に生まれるはずなのに。

 

子どもは愛に溢れている。

子どもの小さな目を見れば、どれだけの信頼をもって世界を見ているかが伝わってくる。

子どもは何だって信じる、例えば、蛇と遊んだり、誰か知らない人にさえ、ついていったりする。

子どもは危険な火の近くへ行くのも恐れない。

なぜなら、彼らはそれが危険だと「疑う」ことを、まだ学んでいないからだ。

 

だから、大人が「疑いなさい」と教えるのだ。

懐疑心を植え付けるのだ。

論理的になるように、教えるのだ。

そうでないと、生きていけないから、と。

恐れを教え、注意しろ、用心深くなれ、と言い、

その結果、愛の可能性が、失われていく。

 

(by OSHO 翻訳は私)。 

http://www.osho.com/read/featured-books/life-love-laughter/let-love-be-your-prayer-part-5

 

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