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人生の後半

40歳を過ぎた頃から、死について考えることが多くなった。

 

40歳というと、寿命の半分、またはそれ以上、生きてしまったことになる。

ここから、後半の始まり。

 

どう生きるか、ということを考える時、

死の方向からそれを考えると、

どう生きるかというか、

「どう生きたいか」が、もう少しだけ、明瞭になる。

 

物の考え方、

言動、

生き方、

 

すべて、「癖」のようなものがある。

 

同じパターンを繰り返している。

 

私たちはある程度、

色々なことを自分で選べる社会に住まわせてもらっていながら、

 

自分の体も、精神も、参ってしまうような思考パターンや感情に、

いくつになっても、振り回される。

 

エックハルト・トール(作家)が、

「ペインボディ」という言葉を使っていたことを、思い出す。

 

--- 「痛みを覚えている体」。

 

昔あった傷ついた出来事と似たような出来事が起こったり、

そういった言葉を聞いたり、

そういった場面を見たりすると、

 

思考よりも先に、

体が痛みを思い出して、

感情が沸き上がってくる(それは、怒りだったり、悲しみだったり)。

 

でも、感情ボディ(感情を感じる体)で何が起こっているのか、

私たちは、ほとんどの場合、無意識なので、

 

何かよくわからないけど、イライラしたり、

腹が立ったり、やきもちを焼いたり、

悲しくなったり、鬱々としたりして、

 

そしてそういった感情は往々にして、

「近い存在の人」にぶつけてしまう。

 

その、近い存在の人というのはしかしながら、

自分にとって、大事な人であることが多い。

例えば、

親だったり、子だったり、夫だったり、恋人だったり。

 

頭の中では、

そういった大事な人とは、

健やかな関係を築きたいと思っているはずなのに、

行動が伴わず、

関係を壊してしまうような言動に出る。。。

 

ペインボディから私たちが言動を起こしてしまうと、

その言動を起こしている最中も、

その後も、

 

ものすごく、

体も、心も、

疲労困憊する・・・。

 

そんな経験が、人生の前半には、正直、いっぱいあった。

 

40代になって、人生の後半に入って・・・。

果たしてそんな痛み(感情)を、

この先、

微塵たりとも感じたいだろうかと、自分に聞いてみるのである。

 

もちろん、

感情は、蓋をするべきものだとは思わない。

 

感情は、自分を守るために、そこにあってくれる。

 

悲しみでも、怒りでも、

体は、その感情のエネルギーを使って、

自分が傷つかないように、

これまでに学んできた古いやり方で、

私たちに、警告サインを送っている。

 

だから、その警告サインに従うように、

きっと今までは、

怒りを表現したり、悲しみを表現したりしてきたという人、

たくさんいる、というか、ほとんどが、そんな人たちばかりだ。

 

そして感情は、ものすごいパワーを持って、人を動かす。

人は思考よりも感情によって、行動を起こすことが多いもの。

 

でも今、

ちょっと時間を持つことができるのであれば、

何か、負の感情のようなものが内に宿った時、

それが「ペインボディ」かもしれないと、

その感情を精査する時間を持ってみたい。

 

昔から、古くから、繰り返している痛みには、

なにか共通点がある。

 

自分が、大事にしてもらわなかった経験・・・。

自分には価値がないと言われてきた経験・・・。

何もできないと言われた経験。

捨てられた経験。

 

その時の痛みが、

今の私たちの行動までを、支配しているかもしれない・・・。

 

でも、もしかすると、

もうその痛みを感じていく必要は、ないのかもしれない。

 

「これは、自分のペインボディが反応しているんだ」

と認識するとき、

 

今起こっている出来事と、

感じている感情が、

実は、直接的につながっていないことに、

気がつかされる。

 

感じている感情は昔々に植え付けられたもの。

 

そして、そんな風にそれが、

過去からのペインボディのリアクションなのだとしたら、

 

「今、自分は、そのペインボディから、行動を起こす必要があるだろうか?」

 

と、自分に聞いてみる。

 

今、起こっている出来事が、

昔の痛みを思い出させるような出来事だったとしても、

必ずしも、昔と同じ、だとは限らない。

 

なのに、

昔と同じように行動をしてしまうことで、

昔と同じ結果を、招いてしまう。

(それが、カルマの法則だ)。

 

ペインボディを、無理やりなくすことはできない。

 

でも、「ペインボディなんだね」と、

それが存在することを、認識することはできる。

 

すると、ペンボディはある程度、静かになっていく。

 

そのためには、

自分に時間を与えること、

とりあえず行動することを、やめて、

ひとりで、

文字にしたり、絵にしたりして、

メンタルクレンジングをするのも、良いかもしれない。

 

そして、自分は、ペインボディではない、ということを、もっと知っていく。

それが、マットの外で行う、ヨガでもある。

 

どう生きるか。

それがある程度自分で選べる幸福を、きっと誰でも、無駄にしたくない。

 

もう二度と繰り返したくないような出来事があるのであれば、

どうしてだって、それを繰り返さない。

これは、決断。

人は、決断しないと、やっぱり同じことを、繰り返す・・・。

 

 

ところで、去年のクリスマス、

元夫で今は友達である子どもたちの父親のところへ遊びに行った。

 

彼はカナダ人なのだけれど、

彼のおばさんが、去年、

「安楽死」を選んで亡くなったということを、聞かされた。

 

おばさんは、90代で独身のフレンチカナディアン。

最後までオシャレで、なんでも自分でやっていたのに、

ある時転んでしまって、頸椎を骨折し、首から下が動かなくなったらしい。

 

カナダでは、2016年6月に安楽死が合法化されている。

おばさんは、安楽死を選んだ。

 

安楽死を希望すると、

何度も心理カウンセラーとカウンセリングセッションを受けなければならないらしく、

おばさんも、何度もカウンセリングして、本当に死んでも良いか、話し合った。

 

彼女の意思は強く、やはり安楽死を選んだ。

 

死ぬ前に彼女は、家族のメンバー全員に会って、

ひとりひとりにお別れを告げる。

何日間か、それに時間を費やした。

 

そして、最後の日、マフィンを1つ食べた後、

「さ、マフィンがなくなったわ。もう行く時ね」

と言って、

医者がいくつかの薬を投与し、

この世を去ったらしい。

 

そしてそののちも、世界はそんなに変わらず、

同じように、太陽も登り、月も登る。

私たちが生まれる前も、そんな世界があった。

 

どう生きるか。

どう生きたいか。

時々、考えてみる価値がある。

 

カナダの安楽死についての記事は、以下のリンクで見られます。

https://jp.vice.com/news/canada-legalized-assisted-suicide-but-there-arent-enough-doctors-to-keep-up-with-demand

 

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