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特殊なニッポン

「個の尊重」とか、「多様性」という言葉がある。

中学生くらいになると、学校でも使われ出す言葉かもしれません。

 

「人権教育」なんていうのもあって、

その授業では、人権について、作文やポスターを作成しなければなりません。

 

中学生くらいの年の子の何人かは、

結構悩みながら、

そういった作文やポスターに取り掛かります。

 

桑名市の市役所に行くと、

その作品が冊子になったものが、置いてあります。

 

「みんな違ってみんな良い」

なんていうキャッチコピーのポスターには、

黄色い髪の毛、

青い目、

茶色い肌、

黒い髪、

天然パーマ、

など、様々な風貌の子どもたちが、

仲良く手を繋いでいる姿が、描かれていたりします。

 

一方、学校では、

頭髪チェックがあり、

もともと髪の毛の茶色い子は、

髪の毛の色を、学校に登録しなければなりません。

また、縮毛矯正をしている子は、

それも登録しなければなりません。

「みんな違ってみんな良い」んだけど、

少しでも違うなら、登録しておきます。

 

これって、一種のダブルバインド?

 

ちなみに、「にこにこ大百科」に以下のようなダブルバインドの例がありました。

おもしろかったので、引用してみます。

 

「黙ってないでなんとか言ったらどうだ!」と言われたので
 口を開いたら「言い訳など聞きたくない!」と余計に叱られた。

 

⊆最圓鬚靴銅犬蕕譴榛櫃「なんで失敗したのか分かってる?」と聞かれ、
 「○○だからです」と理由を説明したら「それが分かっててなんで失敗するんだ」と余計に叱られる。

 

仕事の内容で上司・先輩に相談したら、「それぐらい自分で考えろ」と言われたので
 自分で考えて仕事を行ったら後から「なんで勝手に実行したんだ」と叱られる。

 

 

こういう、ダブルバインドって、

人を精神的に、不安定にする傾向があると言います。

 

そりゃそうでしょう・・・。

 

日本人は、

西洋からの影響を受けて、

個人の尊重、多様性、と言いながらも、

 

本当は、

「集団の尊重」

「一様性」

を大切にしていくべきだと教育されてきている。

 

「個」よりも「集団」重視の社会。

集団に俗するものが作る社会が「内社会」。

 

「内社会」と「外社会」では、

人間関係や、それぞれが担う役割も、違ってくる。

 

「内社会」では、「個」ではなく、

その内社会での「自分の役割」に基づいて、振舞わなければならない。

 

学校なら、「先生」。

家族なら、「お母さん」。

会社なら、「部下」。

など、様々な役割がある。

 

「個」である前に、その役割を果たすことの方が、重視される。

「立場」というものがある。

 

日本人は自分や相手のことを、

「私(I)」や「相手の名前」ではなく、

「その人の役割」で呼ぶことが多い。

 

これは、「甘えの構造」(土居健郎)に書いあったこと(だったような気がします)。

 

「先生がやってあげるからね」

「お父さんが連れて行ってあげるよ」

「社長、お元気そうで!」

 

など。

 

で、役割がはっきりしない時などは、

主語が省かれて、英語でいうところの「I(私)」がない文章が多い。

 

「おなか空いた」

「テレビ見たい?」

「駅に行ってくるわ」

 

まるでそこには、

私(I) = 個、が存在してはいけないかのように・・・!

(自己が存在しない)。

 

「言葉は文化」なので、言葉を考えると、いろんなことが、見えてくる。

 

諸富祥彦先生が、

「トランスパーソナル心理学入門」で、

「個としての自分の確立は、日本人にとっては困難な課題」だと言っています。

 

内社会、集団社会の中では、

「自分を捨てて、ただ人に受け入れられるための"仮面"を演じ続け」なければならない。

 

そのために、

「やさしい暴力」、「やさしい虐待」に、誰もがさらされていると。

 

英語では、"Passive Agressive" という言葉がありますが、

直訳すると「受け身の暴力」という意味。

 

海外の人と仕事をしながら、日本を外側から見てみると、

その姿が、明らかになってきます。

 

例えば、「すみません」という言葉や、いつまでも終わらないお辞儀。

 

「すみません」「ごめんなさい」と言われた側は、

「いええ、こちらこそ、すみません、あなたが謝る必要ないですよ」

というような、申し訳ない気持ちになる。

 

「すみません」と言われたことで、

「すみません」と謝らなければいけない気持ちにさせられる。

 

お辞儀でも、何度も繰り返すので、

先にお辞儀をやめるのが、悪いような気持ちになる。

 

「恩返し」とは良い言葉だけれど、

ズボラで恩を返すのを忘れたりすると、

結構な悪口を、陰で言われたりもする。

 

ギフト交換の文化(お歳暮など)は、相手に恩を着せることで、

エンドレスに続く人間関係を形作ると、昔誰かが言っていた。

 

 

外国人の人が、旅館などで靴を脱ぐのを忘れてしまったりすると、

日本人の従業員が腰を低くして駆け寄ってきて、

「すみません、靴を・・・」と焦りながら、

そして申し訳なさそうにしながら、

そしてちょっと悲しそうな笑顔で謝ってくる。

 

こういう場面も外国人の人には、さっぱり意味が分からない。

 

「なんで普通に靴を脱いでください」と言えないの?

と聞かれる・・・・。

 

これでは靴を脱がなかった側に、ちょっとした罪悪感が残る。

ただそれは、日本人の従業員が意図的に、その人に罪悪感を感じさせたい、わけではない。

日本人の従業員も、その場で「ふさわしい振舞い」をしていない人に注意することに、

きっと、居心地の悪さと、申し訳なさを感じている。

 

書いてて、息苦しくなるな〜 ・・・。

 

「日本人は、すべてのものが場の力の被害者」と、河合隼雄先生は言っている・・・・。

「場の力の被害者」。

 

集団社会で、その置かれた場で、いかに振舞うべきか・・・。

誰も本心から、それをやりたいわけではなくても、そう振舞わなければ調和が崩れる。

というか、それ以外のやり方を、知らないし、教えてもらえない。

 

学校の先生は、生徒の頭髪の色を登録したいわけではない・・・。

生徒は人権教育のポスターを描きたいわけではない。

 

「個人の尊重」?

その意味さえも、分からない。

 

「多様性」?

みんなが違ったら、不安で仕方がない。

 

キリスト教の国は、個と神の関係が大切。

自分がどう生きるかで、天国に行けるかどうかが決まる。

個の尊重の歴史は長い。

 

日本人は、言葉だけを借りてきてしまった・・・。

だから、私たちは混乱する。

そして日本は他の国の人々にとって、

特殊で意味が分からない国となる(なった)・・・。

at 23:05, shakti-mandir, ★ プライベート / Private ★

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