<< カルマ | main | サイエンス オブ ヨガ - 「ヨガとガン」 Lara Benusis 先生のトレーニングを受けて >>

日本の映画

最近、日本の映画を観る機会が、2度ありました。

 

1回目は、飛行機の中で、「君の名は」という、アニメを。

知り合いが見て、号泣したって言ってた。

 

ひとりで飛行機の中で、私も何度か、泣いた。

 

主人公の二人の若者の男女の心が、

時空を超えて、入れ替わる、と言う内容だった。

 

その二人は、お互いに好意を持っているようなんだけれど、

それは、「好意」以上に、

お互いが存在するからこそ、自分が存在できる、みたいな。。。

主人公の男の子と女の子、それぞれの中に、

それぞれの、「自我」がないって感じるくらい・・・。

 

相手によって、自分が、完全になる・・・、みたいな。

 

だから、自分のもう片一方を見つけた時、

「完全になった」ような、気持ちがする。

やっとお互いを見つけ、やっと、完全になれたね。

すれ違いも多かったけど・・・。

こういうところで、みんなが泣くのです。

 

すごく、女性的(母性的)な映画。

 

父性によって、切られ、

「自立」して生きていく、というような、

男性的な要素が、あまり感じられなかった・・・。

 

 

それから最近観たのは、「君の膵臓を食べたい」、という映画。

これも、知り合いが号泣したって言っていた。

 

号泣したって聞くと、行ってみたくなる。

私も、お決まりのところで、涙ポロポロ。

 

主人公の男の子と、病気を抱える女の子の友情ストーリーなのだけど、

この映画も、

まるでこの二人は、それぞれの人格がないようだった。

 

特に男の子は、女の子を通してしか、何の決断もできない。

・・・やっぱり、自分の自我が、ないようなのです。

 

その男の子が大人になってからも、

色々な決断を、

その、女の子の言動によってしか、

起こせない。

 

なんで、悲しいのかというと、

もちろん、病とか、色々、悲しくなる設定があるんだけど、

 

それよりも、ここでも、

「自分の片割れの不在」、によって、

自分自身が、なくなってしまうことが、悲しい。

 

相手がいたからこそ、自分が生きていた。

自分がいたからこそ、相手が生きられた。

 

「誰かを通して、人生を生きている」。

そういう、メッセージが、

この映画も、とっても強かった。

 

 

河合隼雄先生が、

「日本人には、自我がない」って、書いています。

 

日本人の自我は、「集団社会」の中にある。

「個人」の中には、ない。

 

西洋の自我は、「個人」の中にある。

西洋の物語は、

勇敢な英雄が出てきて、

戦いに挑み、

お姫様を助ける、というようなストーリーが多い。

 

その戦いが、イニシエーションで、

その戦いによって、自我を確立させ、

欲しいものを、獲得する。

 

そういう、

なんか、パワーが湧いてくるストーリーは、

父性的で、

切られるものは切られ、

最終的に、個として自立させるところへ、導かれていく。

 

 

今回見た、日本の映画はふたつとも、

鑑賞後、パワーはまったく出なかったけど、

私たち、ひとりで生きてるんじゃないんだよね・・・って

 

生きてるっていうよりも、

生かされているんだよね・・・と、

 

感傷的になった。

 

とても、優しく母性的で、

だけど自分の中に、

確固とした、軸、みたいなものは、

まったく感じられない・・・

感じちゃいけない・・・。

 

嗚呼、めちゃくちゃ顕著に日本的な、

映画を見せてもらいました。

 

at 19:00, shakti-mandir, ★ プライベート / Private ★

-, -, - -