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カルマ

「カルマ」と聞くと、

何かちょっと、怖い感じがするかもしれませんが、

「カルマ」というサンスクリット語は、

「行動」という意味で、

何も恐ろしいことでは、ありません。

 

ではなぜ、カルマに怖いイメージがあるかと言うと、

「自分が起こした行動には、”結果が伴う”」という、

因果応報、「カルマの法則」という考え方が、あるからでしょう。

 

例えば、

悪い行いをすると、その結果、悪いことが必ず自分に返って来る、というような・・・。

または、良いことをすれば、良いことが、自分に返って来るよ、みたいな。

 

人は、生きている間に、

多くの行動(カルマ)を起こすので、

カルマの法則に従えば、

その結果がすべて、自分に返ってくるはずなんだけど・・・。

 

行動を起こしても、

すぐに結果が返ってこなかったら、どうなるのか?

 

今世で自分に返ってこなかったカルマというのは、

どうなるのか?

 

それは、

「次に生まれ変わったときに、返ってくる」

と、カルマの法則は、教えています。

 

だから、

今世で、良い行い(カルマ)をしておいて、

次に生まれ変わった時に、

悪いものが返って来ないようにしておかなくては、なりません。

 

 

インドには、カースト制度あって、

生まれた身分は、変えられなかったそうです。

 

その身分で暮らしながら、

「悪い行い」をすると、

悪いカルマの結果が、次に生まれ変わったときに、返ってくる。

 

それは、もっと低い身分になることかもしれない。

 

少なくとも、良い行いをしていたら、

同じ身分に生まれ変わることができるんだから、

生まれた身分に文句を言わず、

良い行動(カルマ)を行っていきなさいね・・・。

 

そういうふうにも、カルマの法則は使われています。

 

宗教や哲学は、

政治や生活と深く関わっていて、

民衆を支配、コントロールするのに、

便利に活用できるようになっている。

 

 

ヨガ哲学で話題となる「バガヴァッドギータ」でも、

 

神様であるクリシュナが、

兵士のアルジュナに、

「自分の役割(ダーマ)を全うしなさい」、

と、何度も諭している。

 

つまり、

アルジュナという人は、

カースト制度における、

クシャトリヤ(軍人階級)として生まれたのだから、

その階級の人がやるべきこと、

「戦うことが、ダーマ(役割)」だと諭しているのです。

 

アルジュナには、他の選択はありません。

そういう、カーストに生まれたのだから。

 

バガヴァッドギータの読み方は色々あるけど、

神聖なる書物、と考えられつつも、

こういった「人種差別」が背景となっているところは、

あまり、指摘されない事実でしょう。

 

 

(私が一緒に仕事をさせてもらった哲学の先生方とは、

こういう話も時々するのですが・・・)。

 

 

バガヴァッドギータの中で、

アルジュナは、何を心配しているのか。

なぜ、戦いたくないのか。

 

それは、

敵軍には知り合いがいるから、

その人たちを、殺すことなんて、したくないから・・・。

 

そして、

そんな行動(カルマ)を起こしたら、

その行動(カルマ)の結果が、自分に返ってくる。

それが、怖い。

 

 

インド哲学で、

カルマ(行動)の結果のことを心配するのは、

 

もちろん、生まれ変わった時に、

悪い結果を受けたくないからでもあるけれど・・・、

 

最終的には、「解脱」したいから。

解脱をすると、死んだあとに、この世には戻って来ません。

 

解脱をするためには、

輪廻転生(サムサラ)を止めないといけません。

 

では、

輪廻転生をどうやって止めるかっていうと、

日々の行動の中で、

できるだけ、

サムスカーラ(行動の結果生まれる印象)を残さないように、

行動しなければなりません。

 

なぜなら、

サムスカーラがあると、

無意識に、

また、同じような行動(カルマ)を起こし続け、輪廻を繰り返すからです。

 

だからクリシュナは、

結果に囚われず、ただ行動を起こしなさい、言います。

 

・・・

 

人種差別も含めた背景の中、

輪廻転生や、カルマの法則が、語られてきました。

 

前世があるのか、

死んだらまた、生まれ変わるのか。

 

人が信じることは、

必ずといって良いほど、バイアスがかかっている。

(偏っている、ということ)。

 

自分の生き方や考え方を、

都合が良い方に、サポートしてくれることを、信じている。

 

サンタクロースは信じていないけど、

輪廻転生は信じるという人も、いるかもしれない。

 

だけどどちらも、

証明、できないものだ。

 

どっちか片方を信じるっていうのは、

自分が信じたいから、

信じているのであって、

それが、真実だとは、限らない。

 

人は、自分の生き方や考え方を、

都合が良い方に、サポートしてくれることを、信じている。

 

今の自分の苦しみや、悲しみを、

説明してくれるような、

理解させてくれるような、

魔法みたいな話を、

信じたい。

 

それは、助けになる(ように感じる)からだ。

でもそれが、真実だとは、限らない。

 

 

at 21:12, shakti-mandir, 5. ヨガ哲学

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