<< 全米ヨガアライアンス200時間 土日コース (2017年9月〜2018年3月) | main | 陰ヨガ - 25時間トレーニングを開催します。 >>

バガヴァッド・ギータ のタントラ的な理解 with カルロス・ポメダ

7月15日~7月17日まで、

カルロス・ポメダ先生の、ヨガ哲学の通訳をしていました。

 

今回は、バガヴァッド・ギータの3日間でしたが、

これを、「タントラ的に」読解するというもので、

とても難しい内容でした。

 

バガヴァッド・ギータでも、ヨガスートラでも、

理解の仕方は、色々あるのだということ。

 

これは、こういった聖典に対する注釈が、

様々な人によって寄せられているからであり、

誰の注釈を参考にするかによって、理解の仕方が変わるのですね。

 

10世紀、

Abhinavagupta(アビナバグプタ)というタントラ哲学者も、

バガヴァッド・ギータの注釈を書きました。

(Gitartha-Samgrahaと言う校訂本)。

 

今回のクラスでは、

彼の注釈を参考に、

 

タントラ以前の古典的なヨガと、

タントラ的なヨガの見方を、

バガヴァッド・ギータを通して、

比較してみる、という、ワイルドな内容でした!

 

バガヴァッド・ギータは、

誰でもヨガを行えるとか、

満ち足りている人にとっては、ヴェーダも必要ない、と述べた点などで、

もうすでに、画期的な内容、だったのですが、

 

それをのちに、さらに、タントラ的に読み解いたアビナバグプタは、

特記するべき、タントラ哲学者だったようです。

 

3日間、それは多くのことを学び、瞑想テクニックも紹介されていました。

 

古典的なヨガと、タントラ的なヨガの違いは、

ひとことで言うと、

古典的なヨガが二元論的な練習法であり、

タントラヨガは、非二元論である、というところ。

 

どちらのヨガのスタイルも、

「自由になる」ために、ヨガを行うのですが、

 

古典的な方は、

そのために、「世俗を捨てて、高次なところへ到達しましょう」と教えます。

出家とか。洞窟へ行って瞑想したり・・・。

で、

変化し続ける世界(プラクリティ)に振り回されるのではなく、

普遍的なもの、神聖なるものの側(プルシャ)に、留まりましょう、

と言って、

体、心、感覚、を制御(コントロール)しようとします。

体や心は低次なもので、もっと高次へ行かねばならぬ、と、二分化するので、

二元論、と言います。

 

一方、タントラは、

いえいえ、そうではなくって、

世俗社会も、体も、変化するものも、

それが、それ自体で神聖になり得るよ、という考え方。

高次、低次と分けない、というところで、非二元論。

 

でも、このプラクリティ(変化する世界)を、

神聖なものとして、

練習の舞台のために使っていくには、

自分の意識が、しっかりそれを、認識していないと、無理ですよ。

そうじゃないと、結局、

日常の変化に、振り回され、「闇」に生きてることになるからね、

そして、闇とは、無知、のことですよ、

と教えます。

 

 

おおざっぱな説明ですが、

 

タントラ的に練習をするために、2つのキーワードがありました。

 

どんな時も、いつでも戻って来なさいねというポイントが、この2つの言葉。

・Jnana(意識)と

・Kriya (行為)。(この場合、カルマではなく、クリアです)。

 

この言葉を、

プルシャとプラクリティに宛がうなら、

 

Jnana(ニニャーニャ)= 意識が、プルシャ(変わらないもの)、

Kriya(クリヤ)= 行為が、プラクリティ(変化するもの)。

 

そして、いつでも、

Jnana(意識)の方が、より大切だということを、

覚えておきなさい、という、教えでした。

 

古典的なヨガの場合、

変化する俗社会というのは、ダメなもの!でしたが、

 

タントラ的な考え方は、

俗社会も、全然問題ないよと。

俗社会で行動することも、ちっとも問題ないし、

それを使って、ヨガの練習をすれば良いよと・・・。

 

そのために、日々の行動(Kriya)を起こす時、

常に、Jnana(意識)と繋がっていなさい。

(観察者でいなさい、無意識に反応しない状態でいなさい)。

 

それは、

ギータの中に出てくる、

ニニャーニャヨガ、カルマヨガ、バクティヨガでも、

すべて、この教えに、戻ってきなさいと、

何度も何度も、協調された箇所でした。

 

 

その他、覚えておきたいサンスクリット語が、いくつかあったので、

ここに書いおきたいと思います。

 

● Mukti(ムクティ) --- 瞑想のような状態、自由な状態

● Bhukti (ブクティ) --- 瞑想してない日常の状態、楽しみ

 

Muktiは、練習。例えば、一日、1時間の瞑想。

それ以外の時間は日常生活で、Bhuktiですが、

タントラでは、

Muktiも、Bhuktiも、どちらも神聖な練習であることができるとし、

3つのグナ(変化するもの)もあってオッケーとしている。

 

 

● Apavarga(アパヴァルガ)--- 目覚めを垣間見る。

瞑想をし、日常生活も瞑想的に生きるようにすると、

時々、さとりを垣間見る(ちょっとだけ体験)することができる。

そのちょっとだけのさとり体験のことを、Apavargaという。

 

 

● Anugraha (アヌグラハ) --- 与えられたもの。いつもそこにあるもの。

英語では、Grace(グレース)と言うけれど、

常に、大いなるもの、神聖なものが、そこにある、というような、感じのこと。

 

 

● Karma (カルマ) --- 行動

● Karma-Phala (カルマ パラ)--- 行動の結果、実る果実のようなもの。

 

 

● Manas (マナス)--- マインドにおける、心の部分。 

● Buddhi(ブッティ)--- マインドにおける、知能/インテリジェンス/思考の部分。

サンスクリット語では、マインド(心)を、この2つに分けて考える。

 

 

---

とても濃厚な3日間でしたが、貴重な時間でした。

北海道のお友達も参加していて、最終日は楽しく夕飯もできたし!

 

 

教えに基づいた瞑想テクニックは、色々あるけど、

テクニックによって反対に、迷ってしまわなように・・・。

 

教えはあったとしても、

何よりも・・・

 

そのままの自分で良いと気付くこと、

他の誰かになる必要もなく、

もっと良いものになる必要もなく、

別のどこかに到達しようとしないことが、

自由の「鍵」になるかなと、

個人的には、感じています♡

 

 

at 21:50, shakti-mandir, 5. ヨガ哲学

-, -, - -