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告白とちょっぴりの悲しみ

札幌に、

陰ヨガティーチャートレーニングの通訳に来ている、

2017年5月20日の今日は、

とても大切な日のひとつ。


正直に生きていると信じていても、

結構、そうでないことがあって。。。


一日仕事が終わって、ちょっとゆっくりすると、

緊張感が緩むのか、何かに気づかされることがあります。


私を何年も導いてくれた、ヨガの先生がいる。

彼は、あるマントラを私にくれました。


今でも、そのマントラを頭の中で唱えるのが、

癖みたいになっていて、

瞑想していなくても、知らない間に唱えてる。

お守りみたいに。


だけど、もう随分前から、

チャンティングなんて、する必要がないことに気付いてた。


何か、どこか別の場所に到達するために、

やらなければならないことなんて、

なにひとつ、

ないんだって、気付いていた。


でも、そう感じている自分を、

見て、見ない振りをしてた。


まるで子どもが成長することに抵抗するかのように。


でも今日、

私はその先生に、

ヨガもきっと必要なものでもないし、

マントラも、唱える必要がないという気がしていると、

伝えたのです。


彼は、

それで良いんだよ、と言っていた。


ヨガの練習は、

練習が必要ではなくなるために、するんだから、と。


必要なものは、何もないんだと。


私がこれを今まで告げられなかったのは、

これを告げてしまったら、

今よりももっと自分が、

独り立ちをすることになるからだと、知っていたからだろう。


それは別の言葉で言うと、

先生のことが今までよりも、

必要ではなくなりましたと、

告げるような行為だった。


ずっと、幼い生徒でありたかったんだ。


でも、変わってしまったものは、

もう元には戻らない。


月に兎はいないと知ってしまった以上、

二度と月に兎がいるなどどは、

信じられなくなるのと、同じように。


成長は、ちょっと痛みを伴うんだね。


今、新たな場所に、いるような気がしている。


そしてこの世の流動性は、止むことなく続いていく。


仏陀はそれを、諸行無常、と呼び、

人生はだから苦悩であると、説いたんだ。


ただその苦悩も、随分、薄らいでいくのです。

薄らいでいってしまいました。


それがヨガの練習のおかげとも、もうあまり思わない。

きっと、年齢を重ねたから、かもしれない。


ちょっとメランコリックな気分の札幌だけど、

明日の通訳も、楽しく、やろ!



at 23:11, shakti-mandir, ★ プライベート / Private ★

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