自分らしい生き方 - カール・ロジャーの教え

臨床心理学師のカール・ロジャーが、

「自分らしい生き方」について、提案している。

 

<自分らしい生き方>

1. 偽りの仮面を脱いで、もっとあるがままの自分になっていく

2. 「こうするべき」とか「こうあるべき」といった「べき」から自由になっていく

3. ひたすら、他の人の期待を満たし続けていくのをやめる

4. 他の人を喜ばせるために、自分を型にはめるのをやめる

 

そして、

 

1. 自分で自分の進む方向を決めるようになっていく

2. 結果ではなく、プロセスそのものを生きるようになる

3. 変化に伴う複雑さを生きるようになっていく

4. 自分自身の経験に導かれ、自分が今、何を感じてるかに気づくようになっていく

5. 自分のことをもっと信頼するようになっていく

6. 他の人をもっと受け入れるようになっていく

 

                             「自分が自分になるということ」by 諸富祥彦

 

 

 

ヨガの練習をしながら、

この、カール・ロジャーズの言葉に、立ち戻ることがあります。

 

 

色々なことを学ぶことは、大事かもしれない。

それは自分に色々、「くっつけていく」ような行為。

 

子どもの頃のことを、思い出してみると、

 

子どもの頃は、自分には、あまり「くっついている」ものがなかった。

 

つまり、今よりもっと「素の自分」だった。

 

どんな遊びが好きだったか?

どんな傾向の子どもだったのか?

 

真っ新な、

まだ汚れていない、白いTシャツみたいだ、子どもって。

 

でも、そこに、

大人や社会からたくさん教えてもらうことがあって、

 

白いところに、

色々、くっつけながら、育ってきたはず。

 

親に教えられたことも、

先生に教えられたことも、

社会に教えられたこともあったはず。

 

 

ヨガの世界でも、

「伝統」とか「哲学」とか、

お勉強をし続ける。

 

「伝統」などと言っても、

必ずそれは、

その伝統を注釈した人のバイアスも入っている。

(その人の解釈の仕方が影響している)。

 

 

そして、私たちの真っ白いTシャツは、

雪だるまのように、膨れ上がる。

 

 

私のヨガの先生は、

「学んだことは、すべて巻き戻してしまいなさい」

と、もう本当にヨガを始めた当初から、

冗談みたいに言っていたけど。

 

 

私たちがしなきゃいけない作業は、

雪だるまを、もっと大きくすることではない。

 

色々、これまでの人生の中で、

くっついてきてしまった不要なものを、

脱ぎ捨てること。

 

どんどん、

そのヴェールを脱いでいくこと。

 

すると、本来の自分に戻っていく。

 

そう、

何か別の自分に「変容」など、する必要ない。

 

私たちは、

本来の自分に戻る旅路を生きている。

還元すること。

 

「自分が自分になる」。

「自分が自分らしく、なる」。

そうすれば、「他者受容」も、自然にできるようになる。

そしてもっと、「楽ちん」になる。

 

at 15:19, shakti-mandir, 8: 引用 / Quotation

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シッダールタ (ヘルマン・ヘッセ)

毎年、春からこの時期(6月)にかけて、体をデトックスしたくなります。

それは、体調の悪さというのが、少しのことでも、所々に現れるからです。

 

生きている限り、ストレスをなくすことはできないので

季節の変化や、日常生活から生じたストレスに対して、

居心地の悪さを感じない人はいないと思う。

 

この問題に対して、2つタイプの人がいる。

● 1つ目のタイプは、

問題解決して、居心地の悪さを取り除こうとするタイプ。

例えば、食事を変えるとか、運動するとか・・・。

私は、今はこっちのタイプ。

 

● もうひとつのタイプは、

居心地の悪さを、他の何かを体に入れることで、麻痺させてしまえ、というタイプ。

例えば、お酒飲んだり、甘い物食べたり、薬飲んだり。

私も昔はこっちのタイプだった。

 

正直、

どちらのタイプでも、良いと思っている。

 

2つ目のタイプの、

「調子悪くても、ビール飲めば治るわ」、ってメンタリティを見てると、

クソ真面目になりがちな自分を、嘲笑してしまいそうにもなるのです。

 

どちらのタイプであったとしても、
生きるって居心地悪いから、
もっとマシな状態になろうとするか、
あるいは、それを麻痺させる状態にするか、
というようなことを人はしている。

 

ところで、数ヶ月前に、犬(トイプードル)を飼ったお陰で、

毎日、川へ散歩へ行っています。

 

散歩へ行くことで、犬を通して、人と会話ができることが、とてもうれしい。

 

近所の豆腐屋のおじいさんが、黒い犬を散歩させていた。

私はこのおじいさんを、小学生の頃から知っている。

豆腐屋にも行ったことがあったけど、その豆腐屋は、今はもうない。

 

81歳とか、言っていたかな。

 

豆腐を売ってた元気なおっちゃんだったけど、今はおじいちゃん。

たった2キロくらいの小さな犬の糞を取るために、

それはそれは大きな”タモ”を持っていた・・・。蝉が1000匹入りそうなくらいの。

 

「小学校3年生の頃、もう3月になったら、この川に飛び込んどったんや」

って、

 

今は汚染されて泳ぐことなんて考えられない川を見て、教えてくれた。

 

「もうずっと、この川で育ってきたからな、わしらは・・・」

 

・・・川はずっとここにある。

 

豆腐屋のおじいちゃんとの会話の後、

ヘルマン・ヘッセの「シッダールタ」を思い出す。

 

私の大好きな本。

ヨガの哲学が好きなら、きっと、誰でも好きであろう。

 

「この水は流れ流れ、

 絶えず流れて、

 しかも常にそこに存在し、

 常にあり、

 終始同一であり、

 しかも、瞬間瞬間に新たであった!」

 

豆腐屋のおじいちゃんにとっても、

川は、そんな存在だったんだって、

おじいちゃんが、言っている気がした。

(確実に、自分の心の投影でもあるけど)。

 

 

「常にそこに存在するもの」(プルシャ)

「変化するもの(常に新たとなる)」(プラクリティ)

 

川が、「それ、そのもの」を、シッダールタに表現するところ・・・。

好きなシーンのひとつです。

 

 

年を重ねた豆腐屋のおじいちゃんとの会話で、

「いつも川と共にあった」って話に、

 

変わらないもの(プルシャ)と、

変化するもの(プラクリティ)の、

「共存(2分化されない姿)」を、

感じて、

 

そういう時は、ちょっと、切なく、優しい気持ちになる。

最近、こういう時間が、何よりも好きだ。

 

 

小説の中で、シッダールタは、

沙門(出家して修行する仏教徒)をやめ、

商人になり、遊女と関係を持ち、

酒や賭博をするようになっていく。

 

その姿は、

純粋で志が高かったシッダールタからは、

想像がつかないようなもの、であるような気もするけれど、

 

彼は本当に若い頃から、

 

冥想も、修行も、

「我であることの苦悩からのしばしの離脱、

 苦痛と人生の無意味に対するしばしの麻酔にすぎない」

 

と言っていた。

 

そんな逃避や、しばしの麻酔なんて、

お酒を数杯飲んだりすれば、

一時的に、「我」を忘却することができるんだから、

 

修行でも、お酒での忘却も、

どちらも「無我」っていう意味では、

違いはないではないかと・・・。

 

 

さらに、

自分たちの崇拝する師が、六十になっても、

どれだけ修行しても、涅槃の境地に達してないのは、なぜだと思うか!と・・・。

(苦笑)。

 

 

自分たちは、修行することで、「自分を欺く」技巧は覚えるが、涅槃には達しない、と。

 

 

それは、修行する者にとっての、「苦」として伝わってくる。

だから、彼は沙門をやめて、お金持ちの商人になるのだけれど。

 

そこでも、彼は、苦しいのです。

苦しいから、そんな生活を捨てて、川に、たどり着きます。

 

 

シッダールタは、

彼の自我(エゴ)が、

瞑想や禁欲という精神性の中に入り込んでいたと、言っている。

 

断食や苦行によって、

その自我(エゴ)を殺そうとしていた、と。

 

そしてその自我(エゴ)は、どんなことをしても殺せなかった。

 

だから、彼は俗世に入り、

享楽と権勢、

女と金にふけることで、

彼の内の司祭と沙門を、殺さなければならなかったって!!

 

すごいなって思う。

 

それはそれは、ヘルマン・ヘッセのこの小説、

すごい内容だと毎回読むたびに、感嘆してしまう。

 

 

私たちの日常生活は、シッダールタのそれのようなものではないけれど・・・。

 

我を殺したくなったり、

忘却したくなったり、

 

時の流れを感じながらも、

 

変化するものと、変化しないものを、

同時に感じたり、している。

 

それは、自然が教えてくれる。

 

人の生も、死も。

 

自然は、美しく、切なく、悲しい。

そして私たちに、慈悲深さを、与えてくれる。

慈悲深さは、自分でつくるものではなくて、

与えられるものであると、感じるのです。

 

 

 

at 21:41, shakti-mandir, 8: 引用 / Quotation

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魂の目的

Stephen Cope という作家がいますが、ヨガについての様々な本を書いていて、
その中に「The Great Work of Your Life」 というのがあります。

私たちの魂の目的はなにか? 

Dharma という言葉が使われているのですが、(Dharma という言葉には様々な意味があるけれど)、
ここでは私が勝手に「魂の目的」と訳してみました。

「他の人の人生を生きることはできない」というフレーズが、その本の中には何度も出てきます。
他の人の人生を生きずに、自分の魂の目的に従い生きるということ。
それを行うには、

ー分のDharma(魂の目的)が何かを知る。
△修譴鮴紺貲佞笋襦
7覯未砲海世蕕覆ぁ

という事をしなさい、と。

の結果にこだわらないという項目。
これは自分勝手な執着をしないことであり、結果が成功でも失敗でも、同じように受け取りなさいということで、その、「執着しないことにパワーがあるのだ」と言っているのです。
(この本は、バカバッドギータについて書いている本でもある)。


例えば、私たちは仕事や勉強の結果を考え出すと、

「これで良いだろうか?」
「自分は充分だろうか?」
「勝者になれるだろうか?」

という疑いが生まれてしまう。
これを心が「分離された状態」と言います。

そのように結果にこだわって行動すると、
パフォーマンス(行い)は失敗に終わる(魂の目的が達成できない)。

クリシュナは結果にこだわり行動する人を
「みじめ」で「心配ばかりしている」と言っている、と著者は書いています。


そして、ヨガの練習者たちは、結果にこだわり貪欲になると
(1)気が散る
(2)ありのままが見えない
(3)分離が生じる
と分析しました。


(1)気が散る
   例: 瞑想中に食べ物や性行為のことを考えると集中できない(あはは)。

(2)ありのままが見えない
     例: 貪欲になると往々にして結果の良い面または悪い面しか見えない。

(3)分離
     例: 欲しい→手に入れる→手離す→欲しい・・・
      のように、目的との分離が生じる。



結果に強迫的に執着しなくなった時に初めて、行いに100%集中できます。
なぜなら、結果のことを考えないことで、すべてのエネルギーが今行っている行為にいくことができるからです。

では、「望みを持つこと」は良くないのか?
ヨガの練習者たちは望みを持つことを、

・貪欲になる
・恋い焦がれる
・志を持つ

と分類しました。貪欲や恋い焦がれる気持ちは、苦悩を産みます。

だけれど、志を持つのは悪いことではない。
そしてその志(大志)を達成するには、最初に挙げた

ー分のDharma(魂の目的)が何かを知る。
△修譴鮴紺貲佞笋襦
7覯未砲海世蕕覆ぁ

というのが必要だと。。。

やらなきゃいけないことを、一生懸命やり、手放せと。


しかし、気を付けなければいけないのは、
「貪欲」が「大志」に見えることも、「大志」なのに「貪欲」だと間違えてしまうこともあったり、
「大志」がいつしか「貪欲」になったりすることがあるというように、
それらを見分けていくのがとても難しいということです。
だから Stephen Cope は、この課題は一生の課題だと言っている。
本当に、人生のテーマのひとつ、だと思う。


そしてふと気が付いたのだけれど、
結果にこだわるのは、「時間」に囚われる私たちの心のせいでもあるのではないかと。

結果というのは、先のことであり、
先のことを考え、うまくやろうとすると、心がラジャス(刺激的・攻撃的な性質)になる。
(逆に思考が過去にいくと、心はタマス、暗質になりませんか?)

サットヴァ(純質のもの)というのは、やはり自分が「今」に存在していないと感じることができません。

今に存在しサットヴァな状態、(安定してリラックスしている)で行動をすることが、
目的を成功させる鍵なのでしょう。それが「結果に執着しない」ということなのだろうね・・・。
















at 22:23, shakti-mandir, 8: 引用 / Quotation

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Happy Yoga (Steve Ross)

(Happy Yoga by Steve Ross の言葉をまとめて並べ変えました)。 

心理的に、人は安全になりたいと願っている。安全ってでも、何から安全になるの? 死から?
どれだけ安全であったって、必ずいつか死は訪れる。確実な世界での安全な状態なんて、幻だ。求められていることと、現実はどうかってことが、正反対になっている。そしてここから苦しみが生まれる。
唯一この世で確実なことは、すべてが常に変化しているってこと。大いなる命は不変なものでも、命とは変化に変化を重ねる形でその姿を現している。

「恐れると、実現する」「拒否すると、いつまでも付きまとう」 もっとしがみつけば、もっと苦しむ。
すべてのものは、良い-悪い、良い-悪い、良い-悪い、のサイクルで起こっている。
拒否をやめて受け入れ始めると、悪いサイクルがあまり起こらなくなる。
正しい道に行っていることを、なんだか宇宙は知っているみたいで、うまく行くようサポートしてくれるし、喜びある人生をもたしてくれる。

この体の一時的な役割を受け入れると、とっても楽になる。

与えるものは、返ってくる。気分良くいれば、その人のところに人は集まってくる。外見なんて関係なくね。

世界の問題は、自分の問題。世界平和に対して何ができるかって? 「自分が誰か」を、まず知ることだ。そして自分がまず、望ましい変化となればいい。

(Words from Happy Yoga by Steve Ross)

Psychologically, our human urge is toward safety. But safety from what - death? No matter how safe you are, death is going to happen at some point. Security in a secure world is an illusion, and this is where what is desired and what is delivered go their separate ways. And that’s where suffering comes in.
The only true security in the world is in the knowledge of that everything changes: Life itself is changeless, but life expresses itself as change through change.

“What you fear will appear” and “what you resist persists” The more you cling, the more you will suffer.
Everything cycles through so-called good and bad, good and bad, good and bad.
As you begin living from a place of acceptance rather than resistance, so-called bad things rarely happen. Somehow, the universe knows that you are on the right track and it supports you, making life a pleasure.

Accepting the temporary role of the body can be an incalculable relief.

What you give is what you get. If you feel good anyone who sees you will be drawn to you no matter what your shape and size.

The world’s problems are your problems. What can you do toward world peace? Find out who you really are. Be the change that you want to see.

at 16:42, shakti-mandir, 8: 引用 / Quotation

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勇気 / Courage

人生で起こる事柄を、深刻にとらえ過ぎないこと。それらは「迷い」でしかないのだから、そんな事柄であなた自身を傷つけないでください。人生で、あなたは自分の役割を果たしていけば良いです。ただ、それは単に「役割」でしかないことも忘れてはいけません。もしも置かれた状況が悪く、辛抱していかなければならないことがあったとしても、そういった状況が、自分の一部分だというように、自分と状況を同一化をしてはいけません。この世で失うことがあったとしても、それはあなたの魂の喪失ではないのだから。神聖なものを信じ、恐れを打ち壊すのです。「恐れ」はすべての成功の障害となり、またあなたが本当に恐れているものを呼び寄せてしまうものなのです。あなたが大いなるものと調和している時、すべての自然とあなたが結ばれていきます。この真実の実現が、あなたが運命を支配できるよう、導いていくのです。(ヨガナンダ)

Do not take life's experience too seriously. Above all, do not let them hurt you, for in reality they are nothing but dream experiences. Play your part in life, but never forget it is only a role. If circumstances are bad and you have to bear them, do not make them a parf of yourself. What you lose in the world will not be a loss to your soul. Trust God and destroy fear, which paralyzes all efforts to succeed and attracts they very thing you fear. All Nature will communte with you when you are in tune with God. Realization of this truth will make you master of your destony.
(by Paramahansa Yogananda).

at 20:50, shakti-mandir, 8: 引用 / Quotation

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逆縁の菩薩 / a turn of fate

相田みつをさんがこういうことを言っています。「逆縁の菩薩」。逆縁とは、悪事がかえって仏道に入る縁となること、仏に反抗しあるいは仏法をそしることが、かえって仏道に入る因縁となること。反対に、日頃の善行が仏道に入る因縁となることを「順縁」というそうです。順縁でも逆縁でも結果として仏さまと縁を結ぶということ=仏縁。仏縁のためには、仕掛け人がいるというのですが、特にその中でも逆縁の仕掛け人は、通常当人にとっては憎い、敵のような人として登場するのだそうです。そういった、憎い人のことを、「逆縁の菩薩」というのです。

In Japan we have a word "En". "En" is like fate. Something that has been already decided to happen. We say for example people meet certain people for En. Or you get this job because of En, etc.
Mituso Aida talks about "bodhisattva of reversed En". With "Reversed En", which is called "Gyaku En", he explains something bad happens to certain people that ulitimately guides them into Buddhist path. E.g. if someone just really dislikes Buddhism and talks bad about it all the time but eventually him by doing that somehow En ends up taking him into Buddhism. "Jyun En" on the other hand means completely opposite. "Jyun" means to follow. So people who are surrounded with Buddhist people or environment naturally follow their En, Buddhism. Either way, he says there always is someone who sets the En up. Especially with "Gyaku En" those who set up the En are often somebody you don't like or who troubles you. Sometimes she/he can be an enermy for you. And Mitsuo Aida tells us that those people are "bodhisattva of reversed En".

at 20:42, shakti-mandir, 8: 引用 / Quotation

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サンスカーラー / Samskaras

私たちは、いつも同じ失敗をしてしまいませんか?
脳に刷り込まれたように、やらない方が良いことでも、どうしても繰り返しやってしまう。そういった悪い癖をサンスクリット語で、「サンスカーラ(潜在印象)」と言います。The Wisdom of Yoga の筆者Stephen Cope は以下のように書いています。

「サンスカーラーとは、泥道の中にできたタイヤの「わだち」のようなもの。そのわだちがあるために、次に車が通ると、固まったわだちに必ずタイヤがはまり込んでしまう。実際、そのわだちを避けて通るより、そのわだちにはまるほうがよっぽど容易になる。
ヨギはそんな現象を別の言葉で表現している。サンスカーラは伝統的にはseeds (種)という意味合いを持っている。「サンスカーラ」という種が熟すと、種は新しい強い要求を心の中に生む。この種は私たちが無意識に昔から繰り返して行ってしまう悪癖を、何度も懲りずに繰り返して行い続けるということを引き起こす。このように私たちは過去に行ってきた事と自分をなかなか切り離せない。サンスカーラは何らかの「きっかけ」がないと姿を隠している」(しかしきっかけがあると、いつも出没する。例えば、コーヒーを止めたいと思っていても、仕事の休憩になると、ついコーヒーを買ってしまう。それまでは忘れていても、何かきっかけがあると、いつもそうしているからという理由でつい、それをしてしまう)。

Steve Ross が教えてくれましたが、ずっと話すことをしないBaba Hari Dasというヨギが、首に黒板をぶら下げていて、そこにこんなことが書いてあったと。

「(略)瞑想は想念を止めるためにとても有効だ。しかし瞑想とはそう簡単にできるものではない。そこには妨げがあるからだ。主にふたつの妨げがある。ひとつは身体の弱さ、硬さ、病気など。もうひとつはサンスカーラ(潜在印象)。つまり現在や未来の行動の癖を作り出している過去や現在の行動の印象のこと。身体に関しては毎日アーサナを行いサトビック(純粋)な食べ物を食べれば改善できる。しかしサンスカーラによる障害はとても強い。サンスカーラによって人は間違った道だと分かっていても、どうしてもそちらへいってしまう。ギャンブル、薬中毒、他人を傷つけたいという思い。すべての要求は心の不純物だ。心はふたつの方法によって浄化される。プラーナヤーマや瞑想をすることと、前向きな性質を育むこと。前向きな性質を育むには、無私無欲に生き、スピリチャルな人々と集い(サットサンガ)、経典を学び、聖者の本を読んだりすれば良い」。

まずは、自分のサンスカーラは何かと、気がつかないといけないですね・・・。

We often tend to make the same mistakes repeatedly, don't we? It is like something is imprinted inside of our brains that even if we know that we shouldn't do certain things we still do it again and again. This kind of bad habit is called Samskara in Sanskrit. Stephen Cope writes about Samskara like below;
"Samskaras are like little tracks, little vectors, little ruts in the muddy road. The next time the car travels that road, these muddy ruts will have hardened into permanent fixtures, and the car wheels will want to slide into them. Indeed, it's easier to steer right into them than to try to avoid them.
Yogis used different metaphor. Samskaras are traditionally described as 'seeds'. When Samskaric seeds ripen, they release a subtle new volitional impulse into the mind-stream. There seed are powerful unconscious motivators of action which lead to an unconscious repetition of old actions.In this way, the self is bond by its previous actions.
Samskaras remain latent in the mind until they are triggered by some life circumstance into releasing their 'fruit'".(But if something triggers them to release the fruit, they are always there. Example: it is so difficult to quite coffee even if you know it is not good for you every time you are on the break you cannot help buying it just because this is something you always do...).

Steve Ross, my teacher taught me. There is this yogi who does not speak any more for his spiritual practice. His name is Baba Hari Das and he had a chalkboard hanging from his neck. And on the board, it said like following;
"... Meditation is the most important thing (to for stopping thoughts). But it's not easy to meditate because of obstacles that come in the way. There are two main obstacles. First, the physical body - weakness, stiffness, illness and so on. Second, Samskaras - impression of past and present actions which create tendencies toward present and future actions. The physical hindrances can he helped by doing asanas every day and by eating pure (sattvic) food. But the obstacles due to Samskaras are very strong. One is drawn to the wrong path, and even though that is clearly understood, one can't help oneself. Gambling, drugs, addiction, thoughts of hurting others, and all desires are impurities of the mind. The mind is purified in two ways - by doing pranayama and meditation, and by cultivating positive qualities. For developing positive qualities, an aspirant practices selfless action, associates with spiritual people (satsang), studies scriptures and reads life histories of saints".


Hmmm. We first of all got to know what our Samskaras are!

at 18:54, shakti-mandir, 8: 引用 / Quotation

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Ramana Maharshi / ラマナマハリシ

Ramana Maharshi - The Sage of Arunachala

at 00:26, shakti-mandir, 8: 引用 / Quotation

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般若心経 / Heart Sutra

日本語の般若心経

まかはんにゃはらみたしんぎょうかんじざいぼさつぎょうじんはんにゃはらみったじしょうけんごうんかいくう
仏説摩訶般若波羅蜜多心経観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時 照見五蘊皆空
どいっさいくやくしゃりししきふいくうくうふいしきしきそくぜくうくうそくぜしきじゅそうぎょうしきやくぶにょぜ しゃりしぜしょほうくうそう
度一切苦厄 舎利子 色不異空 空不異色 色即是空 空即是色 受想行識亦復如是 舎利子 是諸法空相 
ふしょうふ めつふくふじょうふぞうふげんぜこくうちゅうむしきむじゅそうぎょうしきむげんにびぜっしんいむしきしょうこうみそほう
不生不滅 不垢不浄 不増不減 是故空中無色 無受想行識 無眼耳鼻舌身意 無色声香味触法  
むげんかいないしむいしきかいむむみょうやくむむみょうじんないしむろうしやくむろうしじんむくしゅうめつどうむちやくむとく
無眼界 乃至無意識界 無無明亦 無無明尽 乃至無老死 亦無老死尽 無苦集滅道 無智亦無得 
いむしょとくこぼだいさつた えはんにゃ はらみったこしんむけいげむけいげこむうくふおんりいっさい てんどうむそう
以無所得故 菩提薩埵 依般若波羅蜜多故 心無罣礙 無罣礙故 無有恐怖 遠離一切顛倒夢想 
くうぎょうね はんさんぜしょぶつ えはんにゃはらみったことくあのくたらさんみゃくさんぼだいこちはんにゃはらみった
究竟涅槃 三世諸仏 依般若波羅蜜多故 得阿耨多羅三藐三菩提 故知般若波羅蜜多 
ぜだいじんしゅぜだいみょうしゅぜむじょうしゅぜむとうどうしゅのうじょいっさいくしんじつふここせつはんにゃはらみったしゅ
是大神呪 是大明呪 是無上呪 是無等等呪 能除一切苦 真実不虚 故説般若波羅蜜多呪 
そくせつしゅわっぎゃていぎゃていはらぎゃていはらそうぎゃていぼじそわか はんにゃしん ぎょう
即説呪日 羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶 般若心経 


般若心経の英語版
Avalokiteshvara Bodhisattva, when practicing deeply the prajna paramita, perceived that all five skandhas in their own being are empty, and was saved from all suffering."O Shariputra, form does not differ from emptiness, emptiness does not differ from form; that which is form is emptiness, that which is emptiness form. The same is true of feelings, perceptions, formations, consciousness.O Shariputra, all dharmas are marked with emptiness: they do not appear nor disappear, are not tainted nor pure, do not increase nor decrease.Therefore in emptiness, no form, no feelings, no perceptions, no formations, no consciousness; no eyes, no ears, no nose, no tongue, no body, no mind, no color, no realm of eyes, until no realm of mind-consciousness; no ignorance, and also no extinction of it, until no old-age and death, and also no extinction of it; no suffering, no origination, no stopping, no path, no cognition, also no attainment. With nothing to attain, a Bodhisattva depends on prajna paramita and the mind is no hindrance. Without any hindrance, no fears exist. Far apart from every perverted view one dwells in nirvana. In the three worlds all Buddhas depend on prajna paramita and attain unsurpassed complete perfect enlightenment.Therefore, know the prajna paramita is the great transcendent mantra, is the great bright mantra, is the utmost mantra, is the supreme mantra, which is able to relieve all suffering and is true not false. So, proclaim the prajna paramita mantra, proclaim the mantra that says,
Gate, gate, paragate, parasamgate! Bodhi! Svaha!"


般若心経の英語版の和訳
摩訶般若波羅蜜多心経
求道者にして聖なる観音は深く般若心経を行なうことで、存在にある5つの構成要素が空(実在のないもの)であることを知り、すべての苦から救われた。シャーリプトラ、形あるものは空であり、空はまた形あるものとの違いはない。空であっても形あるものでないわけではなく、また形あるものは空として形となっているわけではない。
感覚も、表象も、意志も、知識も、同じように空である。
シャーリプトラ、すべてのものは空である:それらは現れもせずなくなりもせず、汚れてもおらず純粋でもなく、増えもせず減りもしない。よって空の中には形もなく、感覚もなく、表象もなく、意志もなく、知識もない。眼もなく、耳もなく、鼻もなく、舌もなく、身体もなく、心もなく、かたちもなく、声もなく、香りもなく、味もなく、触れられる対象もなく、心の対象もない。見えるものから意識に至るまですべてのものがなく、迷いもなく、迷いがなくなることもなく、年を取ることもなく、死もなく、年を取ることに終わりもなく、死に終わりもない。苦もなければ苦の原因もなく、苦に終わりもなく、従う道もない。知ることも得ることもない。
得ることがなければ、目覚めを求める修行者の心を覆うものがない。心を覆うものがなければ、恐れも生まれない。そのため惑わされることがなく、今この時で悟り(涅槃)に達している。過去・現在・未来の三世で仏は揺らぐことのない完全な悟りに至る。
それゆえにこれがすべての苦を取り除く真実である超越したマントラ(真言)、最高の悟りのマントラ、一番のマントラ、現実を超えたマントラであることを知れ:そのマントラとは、ガテー ガテー パーラガーテー パーラサンガテー ボーディ スヴァーハー
(往ける者よ、往ける者よ、彼岸に往ける者よ、彼岸に全く往ける者よ、さとりよ、幸あれ)

at 21:53, shakti-mandir, 8: 引用 / Quotation

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You don't need to leave your room / どこへも行かなくてもよい

どこへも行かなくてもいい。
ただテーブルに座り、耳を傾けてみるがいい。
耳を傾けさえもするな。ただ、待て。
待ちさえも、しなくて良いのだ。
動かず、孤独となれ。
世界が、自由に、自らをお前に与えてくるだろう。
ありのままの姿で。
選択の余地もなく。
お前の足元に、世界は恍惚と、開けてくるだろう。
(フランツ カフカ)

You don’t need to leave your room.
Remain sitting at your table and listen.
Don’t even listen, simply wait.
Don’t even wait.
Be quite still and solitary.
The world will freely offer itself to you.
To be unmasked, it has no choice.
It will roll in ecstasy at your feet.

-Franz Kafka

at 23:30, shakti-mandir, 8: 引用 / Quotation

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