陰ヨガ - 25時間トレーニングを開催します。

9月3日(日) ~9月6日(水)

 

陰ヨガの指導と練習 25時間トレーニングを開催します。

 

陰ヨガでは、「ポーズが何に、そしてどこに機能しているか」を大切にします。

人は骨格や体の硬さが異なるため、ポーズの形も千差万別。

「同じ形になるはずがない」と考えます。

 

それを踏まえてポーズを機能させるためには、

各ポーズの様々な「バリエーション」を知る必要があります。

 

例えばクラス全員が「違った形で同じポーズを行う」ことも、あるかもしれません。

 

ポーズの完成度や、「きれいな形」を達成したいという気持ちが、

ともすると「エゴ(我の表われ)」にならないように、

その「気づき」を大切にする陰ヨガでは、

ポーズの写真を使ったり、「模範的な形」を教えたりはしません。

 

機能でポーズを考える。

そのために、それぞれに合ったバリエーションを、生徒が自ら探っていけるようなガイドをする。

 

・・・生徒が自分のヨガを見出す手伝いをする。

 

「自分との対話」。

 

その時間をたっぷり与えられるのが、陰ヨガの練習法です。

 

◆ 陰ヨガの練習と指導 ◆
日程が若干変更になりました。

2017年9月3日(日)~2017年9月6日(水)

 

詳細は以下のリンクよりご確認ください。

 

クリック ☞ 陰ヨガ

at 22:18, shakti-mandir, 2. ティーチャートレーニング / YTT

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バガヴァッド・ギータ のタントラ的な理解 with カルロス・ポメダ

7月15日~7月17日まで、

カルロス・ポメダ先生の、ヨガ哲学の通訳をしていました。

 

今回は、バガヴァッド・ギータの3日間でしたが、

これを、「タントラ的に」読解するというもので、

とても難しい内容でした。

 

バガヴァッド・ギータでも、ヨガスートラでも、

理解の仕方は、色々あるのだということ。

 

これは、こういった聖典に対する注釈が、

様々な人によって寄せられているからであり、

誰の注釈を参考にするかによって、理解の仕方が変わるのですね。

 

10世紀、

Abhinavagupta(アビナバグプタ)というタントラ哲学者も、

バガヴァッド・ギータの注釈を書きました。

(Gitartha-Samgrahaと言う校訂本)。

 

今回のクラスでは、

彼の注釈を参考に、

 

タントラ以前の古典的なヨガと、

タントラ的なヨガの見方を、

バガヴァッド・ギータを通して、

比較してみる、という、ワイルドな内容でした!

 

バガヴァッド・ギータは、

誰でもヨガを行えるとか、

満ち足りている人にとっては、ヴェーダも必要ない、と述べた点などで、

もうすでに、画期的な内容、だったのですが、

 

それをのちに、さらに、タントラ的に読み解いたアビナバグプタは、

特記するべき、タントラ哲学者だったようです。

 

3日間、それは多くのことを学び、瞑想テクニックも紹介されていました。

 

古典的なヨガと、タントラ的なヨガの違いは、

ひとことで言うと、

古典的なヨガが二元論的な練習法であり、

タントラヨガは、非二元論である、というところ。

 

どちらのヨガのスタイルも、

「自由になる」ために、ヨガを行うのですが、

 

古典的な方は、

そのために、「世俗を捨てて、高次なところへ到達しましょう」と教えます。

出家とか。洞窟へ行って瞑想したり・・・。

で、

変化し続ける世界(プラクリティ)に振り回されるのではなく、

普遍的なもの、神聖なるものの側(プルシャ)に、留まりましょう、

と言って、

体、心、感覚、を制御(コントロール)しようとします。

体や心は低次なもので、もっと高次へ行かねばならぬ、と、二分化するので、

二元論、と言います。

 

一方、タントラは、

いえいえ、そうではなくって、

世俗社会も、体も、変化するものも、

それが、それ自体で神聖になり得るよ、という考え方。

高次、低次と分けない、というところで、非二元論。

 

でも、このプラクリティ(変化する世界)を、

神聖なものとして、

練習の舞台のために使っていくには、

自分の意識が、しっかりそれを、認識していないと、無理ですよ。

そうじゃないと、結局、

日常の変化に、振り回され、「闇」に生きてることになるからね、

そして、闇とは、無知、のことですよ、

と教えます。

 

 

おおざっぱな説明ですが、

 

タントラ的に練習をするために、2つのキーワードがありました。

 

どんな時も、いつでも戻って来なさいねというポイントが、この2つの言葉。

・Jnana(意識)と

・Kriya (行為)。(この場合、カルマではなく、クリアです)。

 

この言葉を、

プルシャとプラクリティに宛がうなら、

 

Jnana(ニニャーニャ)= 意識が、プルシャ(変わらないもの)、

Kriya(クリヤ)= 行為が、プラクリティ(変化するもの)。

 

そして、いつでも、

Jnana(意識)の方が、より大切だということを、

覚えておきなさい、という、教えでした。

 

古典的なヨガの場合、

変化する俗社会というのは、ダメなもの!でしたが、

 

タントラ的な考え方は、

俗社会も、全然問題ないよと。

俗社会で行動することも、ちっとも問題ないし、

それを使って、ヨガの練習をすれば良いよと・・・。

 

そのために、日々の行動(Kriya)を起こす時、

常に、Jnana(意識)と繋がっていなさい。

(観察者でいなさい、無意識に反応しない状態でいなさい)。

 

それは、

ギータの中に出てくる、

ニニャーニャヨガ、カルマヨガ、バクティヨガでも、

すべて、この教えに、戻ってきなさいと、

何度も何度も、協調された箇所でした。

 

 

その他、覚えておきたいサンスクリット語が、いくつかあったので、

ここに書いおきたいと思います。

 

● Mukti(ムクティ) --- 瞑想のような状態、自由な状態

● Bhukti (ブクティ) --- 瞑想してない日常の状態、楽しみ

 

Muktiは、練習。例えば、一日、1時間の瞑想。

それ以外の時間は日常生活で、Bhuktiですが、

タントラでは、

Muktiも、Bhuktiも、どちらも神聖な練習であることができるとし、

3つのグナ(変化するもの)もあってオッケーとしている。

 

 

● Apavarga(アパヴァルガ)--- 目覚めを垣間見る。

瞑想をし、日常生活も瞑想的に生きるようにすると、

時々、さとりを垣間見る(ちょっとだけ体験)することができる。

そのちょっとだけのさとり体験のことを、Apavargaという。

 

 

● Anugraha (アヌグラハ) --- 与えられたもの。いつもそこにあるもの。

英語では、Grace(グレース)と言うけれど、

常に、大いなるもの、神聖なものが、そこにある、というような、感じのこと。

 

 

● Karma (カルマ) --- 行動

● Karma-Phala (カルマ パラ)--- 行動の結果、実る果実のようなもの。

 

 

● Manas (マナス)--- マインドにおける、心の部分。 

● Buddhi(ブッティ)--- マインドにおける、知能/インテリジェンス/思考の部分。

サンスクリット語では、マインド(心)を、この2つに分けて考える。

 

 

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とても濃厚な3日間でしたが、貴重な時間でした。

北海道のお友達も参加していて、最終日は楽しく夕飯もできたし!

 

 

教えに基づいた瞑想テクニックは、色々あるけど、

テクニックによって反対に、迷ってしまわなように・・・。

 

教えはあったとしても、

何よりも・・・

 

そのままの自分で良いと気付くこと、

他の誰かになる必要もなく、

もっと良いものになる必要もなく、

別のどこかに到達しようとしないことが、

自由の「鍵」になるかなと、

個人的には、感じています♡

 

 

at 21:50, shakti-mandir, 5. ヨガ哲学

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全米ヨガアライアンス200時間 土日コース (2017年9月〜2018年3月)

ナマステ♡

 

2014年から、三重県桑名市にて、

カナダ Open Source Yoga主催の、

全米ヨガアライアンス200時間指導者育成コースを開催してきました。

 

現在は、第4期生が学んでいますが、

彼らももうあと数ヶ月で、卒業となりました。

 

今年9月より、第5回目の、トレーニングを開催予定です。

 

そして、この5回目のトレーニングを開催したのち、

全米ヨガアライアンス200時間トレーニングは、

しばらくお休みさせて頂くことになりました。

 

2018年以降、

ちょっと焦点を変えて、ヨガを皆さんに提供していきたく、

そのために、200時間トレーニングは開催しません。

 

ですので、

もし、三重県桑名市でトレーニングを受けたいとお考えの方は、

9月からのコース受講を是非ご検討くださいね。

 

9月スタートコースは、土日コースで、

各モジュール毎にトレーニングをご受講可能です。

200時間すべて受けなくても、

好きなモジュールのみ、受けて頂けます。

 

以下が、各モジュールの内容になります。

(各モジュールをクリックすると、内容のリンクへ移動します)。

 

モジュール#1: 自己練習の確立 (20時間)

モジュール#2: ヨガが癒しになる時(20時間)

モジュール#3: 陽のヨガの練習と指導の基礎(60時間)

モジュール#4: 様々な練習法 (20時間)

モジュール#5: 指導スキル、シークエンス、ヨガとビジネス(60時間)

 

※ モジュール#3は、モジュール#1をご受講頂かないと、受けられません。

※ モジュール#5は、#1〜#4までをご受講頂かないと、受けられません。

※ 10月、11月のコースには、カナダよりDan先生が部分的に指導に入ってくださいます。

 

(加算式もなくなりましたので、ご了承ください)。

 

 

★ 200時間トレーニングすべての情報は以下のリンクをクリックしてください。

全米ヨガアライアンス200時間コース 2017年9月スタート

 

☞ 全コース受ける方は、早期割引は8月25日までです(延長しました!)。

☞ お友達紹介して頂くと、トレーニング参加者は1万円の割引、

  紹介してくださった方にも、同額の割引を、

    他のクラス、またはトレーニングからさせて頂けます。

☞ トレーニング受講中、シャクティモンディヨガの一般クラスが、

 すべて無料で受けられます。

 

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2018年以降の全米ヨガアライアンス200時間コースは、

「参加希望者が3名以上集まった状態で、開催リクエストを頂いた時のみ

開催させて頂きます。

その場合、開催日程などは、相談となります。

 

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200時間以外のトレーニングやワークショップは引き続き、行っていきます。

一般の生徒さんや、プライベートでのスペシャルクラスも、

これまで通り、開催していきます。

 

以下にクラスの詳細がありますので、どうぞご覧ください。

 

一般クラス (誰でも参加できます)

スペシャルクラス (プライベートで参加可能です)  

 

日々を通して、皆さんと繋がれる時間が、私の一番好きな時間です。

これからも、どうぞよろしく♡

 

at 14:42, shakti-mandir, 1. スタジオお知らせ/ Studio Announce

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シッダールタ (ヘルマン・ヘッセ)

毎年、春からこの時期(6月)にかけて、体をデトックスしたくなります。

それは、体調の悪さというのが、少しのことでも、所々に現れるからです。

 

生きている限り、ストレスをなくすことはできないので

季節の変化や、日常生活から生じたストレスに対して、

居心地の悪さを感じない人はいないと思う。

 

この問題に対して、2つタイプの人がいる。

● 1つ目のタイプは、

問題解決して、居心地の悪さを取り除こうとするタイプ。

例えば、食事を変えるとか、運動するとか・・・。

私は、今はこっちのタイプ。

 

● もうひとつのタイプは、

居心地の悪さを、他の何かを体に入れることで、麻痺させてしまえ、というタイプ。

例えば、お酒飲んだり、甘い物食べたり、薬飲んだり。

私も昔はこっちのタイプだった。

 

正直、

どちらのタイプでも、良いと思っている。

 

2つ目のタイプの、

「調子悪くても、ビール飲めば治るわ」、ってメンタリティを見てると、

クソ真面目になりがちな自分を、嘲笑してしまいそうにもなるのです。

 

どちらのタイプであったとしても、
生きるって居心地悪いから、
もっとマシな状態になろうとするか、
あるいは、それを麻痺させる状態にするか、
というようなことを人はしている。

 

ところで、数ヶ月前に、犬(トイプードル)を飼ったお陰で、

毎日、川へ散歩へ行っています。

 

散歩へ行くことで、犬を通して、人と会話ができることが、とてもうれしい。

 

近所の豆腐屋のおじいさんが、黒い犬を散歩させていた。

私はこのおじいさんを、小学生の頃から知っている。

豆腐屋にも行ったことがあったけど、その豆腐屋は、今はもうない。

 

81歳とか、言っていたかな。

 

豆腐を売ってた元気なおっちゃんだったけど、今はおじいちゃん。

たった2キロくらいの小さな犬の糞を取るために、

それはそれは大きな”タモ”を持っていた・・・。蝉が1000匹入りそうなくらいの。

 

「小学校3年生の頃、もう3月になったら、この川に飛び込んどったんや」

って、

 

今は汚染されて泳ぐことなんて考えられない川を見て、教えてくれた。

 

「もうずっと、この川で育ってきたからな、わしらは・・・」

 

・・・川はずっとここにある。

 

豆腐屋のおじいちゃんとの会話の後、

ヘルマン・ヘッセの「シッダールタ」を思い出す。

 

私の大好きな本。

ヨガの哲学が好きなら、きっと、誰でも好きであろう。

 

「この水は流れ流れ、

 絶えず流れて、

 しかも常にそこに存在し、

 常にあり、

 終始同一であり、

 しかも、瞬間瞬間に新たであった!」

 

豆腐屋のおじいちゃんにとっても、

川は、そんな存在だったんだって、

おじいちゃんが、言っている気がした。

(確実に、自分の心の投影でもあるけど)。

 

 

「常にそこに存在するもの」(プルシャ)

「変化するもの(常に新たとなる)」(プラクリティ)

 

川が、「それ、そのもの」を、シッダールタに表現するところ・・・。

好きなシーンのひとつです。

 

 

年を重ねた豆腐屋のおじいちゃんとの会話で、

「いつも川と共にあった」って話に、

 

変わらないもの(プルシャ)と、

変化するもの(プラクリティ)の、

「共存(2分化されない姿)」を、

感じて、

 

そういう時は、ちょっと、切なく、優しい気持ちになる。

最近、こういう時間が、何よりも好きだ。

 

 

小説の中で、シッダールタは、

沙門(出家して修行する仏教徒)をやめ、

商人になり、遊女と関係を持ち、

酒や賭博をするようになっていく。

 

その姿は、

純粋で志が高かったシッダールタからは、

想像がつかないようなもの、であるような気もするけれど、

 

彼は本当に若い頃から、

 

冥想も、修行も、

「我であることの苦悩からのしばしの離脱、

 苦痛と人生の無意味に対するしばしの麻酔にすぎない」

 

と言っていた。

 

そんな逃避や、しばしの麻酔なんて、

お酒を数杯飲んだりすれば、

一時的に、「我」を忘却することができるんだから、

 

修行でも、お酒での忘却も、

どちらも「無我」っていう意味では、

違いはないではないかと・・・。

 

 

さらに、

自分たちの崇拝する師が、六十になっても、

どれだけ修行しても、涅槃の境地に達してないのは、なぜだと思うか!と・・・。

(苦笑)。

 

 

自分たちは、修行することで、「自分を欺く」技巧は覚えるが、涅槃には達しない、と。

 

 

それは、修行する者にとっての、「苦」として伝わってくる。

だから、彼は沙門をやめて、お金持ちの商人になるのだけれど。

 

そこでも、彼は、苦しいのです。

苦しいから、そんな生活を捨てて、川に、たどり着きます。

 

 

シッダールタは、

彼の自我(エゴ)が、

瞑想や禁欲という精神性の中に入り込んでいたと、言っている。

 

断食や苦行によって、

その自我(エゴ)を殺そうとしていた、と。

 

そしてその自我(エゴ)は、どんなことをしても殺せなかった。

 

だから、彼は俗世に入り、

享楽と権勢、

女と金にふけることで、

彼の内の司祭と沙門を、殺さなければならなかったって!!

 

すごいなって思う。

 

それはそれは、ヘルマン・ヘッセのこの小説、

すごい内容だと毎回読むたびに、感嘆してしまう。

 

 

私たちの日常生活は、シッダールタのそれのようなものではないけれど・・・。

 

我を殺したくなったり、

忘却したくなったり、

 

時の流れを感じながらも、

 

変化するものと、変化しないものを、

同時に感じたり、している。

 

それは、自然が教えてくれる。

 

人の生も、死も。

 

自然は、美しく、切なく、悲しい。

そして私たちに、慈悲深さを、与えてくれる。

慈悲深さは、自分でつくるものではなくて、

与えられるものであると、感じるのです。

 

 

 

at 21:41, shakti-mandir, 8: 引用 / Quotation

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ヨガセラピューティック30時間トレーニング with Jonas Westring

2017年6月、

世界各国を飛び回り指導をしているヨーナス・ウェステリング先生と、

桑名市にて、「ヨガセラピューティック30時間トレーニング」を開催しました。

 

 

「なぜ、"セラピー"ではなく、

"セラピューティック(セラピー的)" でなければらならないのか」

というところから始まったこのトレーニング。


言葉で何かを表現する時、

その言葉の意味を明確にすることの大切さを、最初に教えられました。

 

ヨガで人を治療することはできない。

その点では、ヨガはセラピーとは呼べない。

 

だけど、ヨガをセラピー的(セラピューティック)に活用することはできる。

その結果、セラピーが起こる可能性もある。

 

 

理学療法、ヨガ、タイマッサージ、鍼灸、

その他のボディワークを30年近く実践指導している知識と経験から学ぶ機能解剖学。

 

自分の体と人の体の探求。

プラナヤーマ(呼吸法)や瞑想という微細な練習法。

 

とても貴重な5日間でした。ヨーナス先生、参加された皆さん、ありがとうございました

 

 

 

これまでも、ヨガセラピューティックの手法を使って、

慢性的な体の問題を抱える生徒さんと、ヨガを行ってきましたが、

今回のトレーニングで、新しいことも、沢山得ることができました。

 

 

問題が改善に向かい、

より、充実した生活を送れるようになっていかれるのは、

生徒さん自身の努力と、

ヨガセラピューティック技法のすごさ、だと思っています。

 

今は、頸椎ヘルニア(と医者に言われたらしい)の生徒さんと、

プライベートセッションをやっていて、

彼は、仰向けも、うつ伏せにも、なることができなくて、

腕にしびれと、痛みがある・・・。

 

その生徒さんと、どんなワークをしたら良いか、

セラピューティックで学んだことが、本当に、役に立っている。

 

そして何よりも、

リラックスすることのパワー。

 

リラックスをすることで、体は、自然に、良い方へ行こうとする。

 

体に触れることで、その柔らかさを感じることで、

 

(だんだん、柔らかくなっていく)、

 

私の方が、教えられていることが、沢山あります。

 

・・・ そのままを受け入れることも、愛。

 

・・・ できることを、やってみるのも、愛。

 

どこまで、やって、どこから、受け入れるか。

 

受け入れてみると、解決することも、あったりもする。

 

ヨーナス先生、通訳の真帆さん、ありがとう!

 

 

at 22:27, shakti-mandir, 1. スタジオお知らせ/ Studio Announce

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Jo Phee 陰ヨガと中医学通訳 in 札幌

「ハタヨガ」とは、体を使って行うヨガの名称。

ポーズを行っているヨガはすべて、

「ハタヨガ」、という種類のヨガに入ります。

だから、陰ヨガも、ハタヨガのひとつ。

 

どんなヨガでも、

自分の命と繋がって、自分と親密になり、

 

より良い生き方ができるように、導いてくれるもの・・・

と思っているけど、、、

 

ポーズはなかなか、

手ごわいところもあって、

 

「ポーズができるようになりたい!」

というポーズに対する執着が、きっと誰にでも、出てくると思います。

 

できないポーズがあったとしても、

毎日、毎日、練習したおかげで、できるようになるポーズもある。

 

できなかったことが、できるようになるって、うれしいことなので、

毎日コツコツ練習して、いつしかできるようになったら、

達成できたこと、素直に喜べば良いと思います。

 

 

反対に、

毎日毎日、どれだけ練習しても、できないポーズもある。

これ、こんだけ何年もやってて、できないって、

よっぽどやり方が悪いか、骨格的に、無理なんちゃうか!と・・・。

 

それでも無理しすぎて、怪我になったり、する人もいるかもしれない。

 

必ず、ある箇所以上で、可動しない関節があって、

体が、あ、これ無理っ、と言っている。

 

陰ヨガの練習法というのは、

「自分のそのままの"骨格"を、受け入れなさい」というのが、テーマになる。

 

自分の骨格に合っていないのに、

無理してポーズを行って、怪我をするようなヨガを、

陰ヨガの世界では、「悲劇」と呼ぶ(苦笑)・・・。

 

(ただ、どんなヨガでも、やり方次第で誰かにとって、毒になることがある点では、

陰ヨガでも、怪我をする人がいない、とは言い切れない)。

 

 

陰ヨガは「見た目」ではなく、

そのポーズで、「何が行いたいのか(機能)」を考えることを、大切にする。

 

 

「練習は、ポーズができないという問題を解決はしてくれない、

だって、あなたの骨格は、そのポーズができる骨格ではないのですから」

 

それは、正当な意見だと思う。

 

そして、そのままの自分の体を受け入れることで、「楽になる」ことが、多くある。

 

陰ヨガのトレーニングの通訳をさせて頂くと、

毎回、このテーマが上がってくる。

 

毎回、一度、止まって、考えさせられる・・・。

 

 

2017年5月、

7日間に渡り、札幌にて、

Jo Phee先生の陰ヨガと中医学の通訳をさせて頂いた。

 

陰ヨガのトップクラスの指導者と仕事をさせて頂くと、

自分の、陽のヨガに対するアプローチの仕方を、

深く、慎重に、考えさせられます。

 

筋肉を使って行う「陽のヨガ」と、

筋肉はできる限りリラックスした状態で行う「陰のヨガ」。

 

ターゲットにしている組織が違うのだから、

同じ土俵で議論できないことも、あると思うけど。

 

「ポーズは絶対この形でないといけない」

というような幻想からは、確実に、解放されるし、

 

特にアラインメントを指導している先生にとっては、

かなりのチャレンジとなる、陰のアプローチ。

 

そのチャレンジゆえに、活性化(脳の)が起こり、

 

私は、やっぱり、嫌いじゃない。

 

ただし、

 

何が正しいか、なんて、

 

体の話になってくると、

 

回答は、絶対に、ひとつ、ではなく、

 

わからないことも、沢山、沢山。

まだまだ、いっぱい。

 

今回は、中医学も入っていて、

五臓六腑、五行説、経絡のことについても、

勉強させて頂くことができました。

 

また、Jo Phee先生の、

どんなことがあっても、

「生徒に確実に覚えさせる」ような、

何度も何度も繰り返して行う指導の仕方に、脱帽。

 

札幌 Jo Phee先生のトレーニングには、37名もの人が参加されていました。

最後の楽しかった懇親会風景。

 

次の陰ヨガ通訳は、

Joe Barnett 先生の、30時間トレーニング in 福岡 (9月)、

アドバンスコース in 名古屋(10月)。

 

at 22:02, shakti-mandir, 7: ヨガ通訳 / Yoga Interpretation

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ハンス・セリエのストレス学説

「気分転換」って、ストレスに効果があるそうです。

 

もう、3ヶ月以上かけて、ハンス・セリエの「The Stress Of Life」を読んでいる。

 

最後の方のチャプターで、

科学者である彼が、哲学を語っているところが、興味深かった箇所のひとつだった。

 

「科学者が哲学を語るのは危険」だと、ハンス・セリエは書きながら、

それでも書かずにはいられない、と、書いている。

 

そしてその中で、科学者ではない私たちが、

ストレスを感じた時、どうしたら良いかを、提案している。

 

「気分転換」になることをすると良い。

確かに、メンタル的なストレスがある時、

散歩行ったり、買い物したり、ケーキ食べたりして、気分転換すると、効果ある。

 

でも、「過剰なストレス」の場合、気分転換では、効かないそうです。

 

過剰なストレスがある時は、

「即効性のある、ストレス解消法を実践できるようになることが大切」

だと言っています。

 

それらの方法が、

ヨガ、TM(瞑想法)、禅、自分で行う睡眠療法、ハレ・クリシュナ(チャンティング)、

その他などなど、と挙げています。

 

ハンス・セリエがこの本を書いたのは、1956年かな、

1976年に内容を見直されている(私の理解が正しければ・・・)らしく。

 

科学者である彼は、

「ヨガ云々が、ストレスに効くかは、まだ解明されていく必要がある・・・」

としながらも、

 

「これらの方法は、眠りよりも、深いリラクゼーションを与える」とまで、書いています。

 

驚いたし、人間的で、良いな〜、と思いました。

 

彼は、人が生きていくには、その人の「適応能力」が、一番の鍵になる、と言っています。

人は生きている限り、「ストレスがない状態」などあり得ず、

(季節、環境、起こってくることすべてがストレスだから)、、、

 

その時々の変化に、いかにうまく適応できるかできないかが、

その人の、からだの状態を、決めてしまいますよ、という研究なのです。

 

実際に、

「科学者として、長年時間をかけながら、ストレス研究をしていたことが、ストレスだった!」

と書いていたところは、笑ってしまいました。

 

脳(脳下垂体)から副腎皮質刺激ホルモンが出て、

副腎からアドレナリンやコルチゾールが分泌されると、からだにどんな変化が起こるのか、

 

副腎肥大

胸腺が縮む(免疫低下)

消化器系の潰瘍

 

ネズミの臓器の写真とか、関節の写真とか、数値とか、色々、実験がいっぱいの本は、

理解するの(英語だったし)難しかったけど、理解できたとこだけでも、おもしろかった。

 

でも、

最後の彼の考えを述べてるところが、やっぱり良かった。

 

人が、生きるということは、どういうことだろうって、書いている。

 

人は、「適応エネルギー」を備えて生まれてきていると。

その「適応エネルギー」には、二種類あると。

 

ひとつは、「表層にある適応エネルギー」。

これは、いつでも使えるエネルギー。

 

もうひとつは、「深層にある適応エネルギー」。

これは、貯蔵してあるもので、

「表層の適応エネルギー」がなくなったら、この深層にあるエネルギーを使うことになると。

 

そして、適応エネルギーの量には限界があって、

このエネルギーが私たちの命であるって!

 

これって、なんかちょっと、東洋的な考え方に、素人の私には、聞こえてなりません。

 

気を付けて、適応できるように生きていかないと、

生まれながらにもらったエネルギー量は、どんどん減っていきますよって。。。

 

外の環境、食べるもの、内部環境、ストレスになるものすべてに、気を付けて、

この適応エネルギーを、はやく使い果たしてしまわないようにしましょうと。

それがなくなる時は、命がなくなる時ですって。

 

彼は、好奇心を持って、好きなことをして生きることを、促しています。

 

ただ定年に向かって、毎日同じことをして、本当にやりたいことを考える時間もなく、

 

「明日になったらもっと楽になる」と信じながら、

その明日が来ることは、絶対になく・・・。

 

そして、目的なく生きていく・・・。

 

また、そんな生き方をしていることを見つめるのが怖くて、

仕事にかまけ、もっと忙しくし、仕事中毒や、忙しい病になること。

 

それは、おかしいよねって。

 

「好きなことっていつも役に立たず、報酬にもつながらない。

でもね、好きなことすること自体が、報酬そのものなんだ」。

 

そういうことって、子どもの頃は、しょっちゅうしていた。

好きなことするのが、喜びで、喜びを得るために、何かをするってなかった。

 

子どもの頃、野原で見つけた虫や花に感動したことがあったはず。

大人になっても、心のどこかで、それを覚えている。

だから、私はみんなに、

「小さい頃の夢は、何でしたか?」って聞いてみる。

子どもの頃を語りだすとき、みんなの目が、変わるから。

色んな意味で。

 

好きなことをして生きるって、簡単なことではない。

好きなこと、見つからない人もいるし、

あったとしても、好きなことしてたら、生活できないって事実もある。

 

でも、ハンス・セリエは言うのです。

 

画家は、報酬をもらうために、絵を描くだろうかと。

科学者は、報酬や名誉のために、感謝してほしいために、研究をするのかと。

 

いいえ、感謝してもらいたいために研究をする科学者なんて、いないだろうと。

「楽しいからやる」。

もっと、保守的な回答なら、「科学のための、科学だから」かもしれない。

「感謝や名誉のため」なんて答えるのは、恥ずかしいことだって。。。

 

私たちは、まず、自分が調和がとれていることが大事。

戦わなくて良い相手(事柄)にかかっていくこと(エネルギーの無駄使い)や、

戦わなくてはならないことを黙認している(使うべきエネルギーを使えてない)、

というようなことをせず、

上手に調整しながら、調和を取って、

 

喜びを与えてくれるものと、

喜びを得るために行っていることの違いを、知ることが、大切ですよって。

 

私は旅をしている時しか、本を読む時間がありません。

3月にカナダから帰国して以来、全然読む時間がなかった本だけど、

10日間、札幌出張があったおかげで、また、ゆっくり読書できた。

 

というか!

本を読む時間がないっていうのも、忙しい病だな。

と、自己を顧みた、札幌からの帰路だったのです。

ハンス・セリエ。もっと読んでみたいです。

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告白とちょっぴりの悲しみ

札幌に、

陰ヨガティーチャートレーニングの通訳に来ている、

2017年5月20日の今日は、

とても大切な日のひとつ。


正直に生きていると信じていても、

結構、そうでないことがあって。。。


一日仕事が終わって、ちょっとゆっくりすると、

緊張感が緩むのか、何かに気づかされることがあります。


私を何年も導いてくれた、ヨガの先生がいる。

彼は、あるマントラを私にくれました。


今でも、そのマントラを頭の中で唱えるのが、

癖みたいになっていて、

瞑想していなくても、知らない間に唱えてる。

お守りみたいに。


だけど、もう随分前から、

チャンティングなんて、する必要がないことに気付いてた。


何か、どこか別の場所に到達するために、

やらなければならないことなんて、

なにひとつ、

ないんだって、気付いていた。


でも、そう感じている自分を、

見て、見ない振りをしてた。


まるで子どもが成長することに抵抗するかのように。


でも今日、

私はその先生に、

ヨガもきっと必要なものでもないし、

マントラも、唱える必要がないという気がしていると、

伝えたのです。


彼は、

それで良いんだよ、と言っていた。


ヨガの練習は、

練習が必要ではなくなるために、するんだから、と。


必要なものは、何もないんだと。


私がこれを今まで告げられなかったのは、

これを告げてしまったら、

今よりももっと自分が、

独り立ちをすることになるからだと、知っていたからだろう。


それは別の言葉で言うと、

先生のことが今までよりも、

必要ではなくなりましたと、

告げるような行為だった。


ずっと、幼い生徒でありたかったんだ。


でも、変わってしまったものは、

もう元には戻らない。


月に兎はいないと知ってしまった以上、

二度と月に兎がいるなどどは、

信じられなくなるのと、同じように。


成長は、ちょっと痛みを伴うんだね。


今、新たな場所に、いるような気がしている。


そしてこの世の流動性は、止むことなく続いていく。


仏陀はそれを、諸行無常、と呼び、

人生はだから苦悩であると、説いたんだ。


ただその苦悩も、随分、薄らいでいくのです。

薄らいでいってしまいました。


それがヨガの練習のおかげとも、もうあまり思わない。

きっと、年齢を重ねたから、かもしれない。


ちょっとメランコリックな気分の札幌だけど、

明日の通訳も、楽しく、やろ!



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