ペインボディ(前回の続き)

「ペインボディ」について、昨日ブログを書いたのは、

最近つくづく、ペインボディ(またはサムスカーラ)の根は深いと感じる出来事が・・・、

「出来事」というか、

出来事によって起きてくる「ペインボディ」をキャッチすることが、

ちょくちょくあったからです。

 

ペインボディは、忘れた頃にやってくる。

(サムスカーラも同じ)。

 

もう、大丈夫だろうと安心している場合じゃない!

 

体でそれをキャッチしたら、

それがどこからやってくるのか、

「向き合う」。

 

これって、

「問題(闇) に飛び込んでいく」ようなことで、

かなりの勇気がいる。

 

過去に傷ついた痛みの記憶を、肉体が、覚えている。

その記憶(感情)によって言動を起こす私たち。

でもペインボディから起こす行動は、絶対に良い結果を生まない。

 

人は、それが分かっていても、

何度も何度も何度も、同じパターンを繰り返し、

何度も何度も何度も、同じ結果にたどり着き、傷つく。

 

でもある時、

「もう何が何でもその同じサイクルを繰り返すものか」、

と、心のむちゃくちゃ深いところで、決断する。

 

というか、決断しない限り、変わらない限り、

そのパターンを繰り返しては、

もうこれ以上、生きていけない。

 

そんな生き方はもう「無理」になる。

 

ここまで来るのに、すでにかなり苦しい。

 

そしてその先も、きっと苦しいぞ〜。

 

だって、

ペインボディと付き合うことは、

自分のすごい深い暗い部分に、

飛び込んでいく作業だからだ。

 

それって「闇」だから、

自分であっても未知の世界で、

とても怖いのである。

 

でも、

そうすることでやっと、

少しずつだけど、

いつも陥っていた罠に、

(それは自分がしかけた罠でもあるのだが)、

落ちないように、生きれるようになる。

 

そしてまた時々、ペインボディに振り回され、

でも、

振り回されてることに、

「気付く」タイミングが、

少しずつ早くなる。

 

そして闇の闇の闇に飛び込めば飛び込むほど、

ぽろぽろと剥がれていくものが出てきて、

例えば不安でも悲しくても、

(その結果、怒りがあっても)、

「大丈夫」みたいな気持ちになり、

 

すごい、腹がすわる。

何があっても、もう絶対たじろかない、という自信が湧いてくる。

そして、人生をこのまま信じていけるようになる。

 

これが、地に足がついた、と言う感覚なのかもしれない。

 

そんなことを考えていたとき、昔読んだOshoの文章が、

フェイスブックの「過去の思い出」で、出てきた。

 

Oshoは、この闇が「ハート」なんだと言っている。

そしてそこに、愛があるんだって。

 

そうだ。そうだよなって思う。

 

この愛は、損とか徳とかの勘定がない愛だ。

見返りなんてどうでも良い愛だ。

 

それを感じるには、自分の闇の底に飛び込んでいくことが不可欠なんだ。

そしてこれが、もうずっと長いこと、

この課題に取り組むのが、

自分のミッション(使命)だった・・・。

今も、そうだ。

 

自分の闇の深いところに行くと、

自分の光と闇、その両方があって、良いんだってことになる。

それが、自己統合なのかもしれない・・・。

 

このプロセスは、これからも、何度も繰り返していくのかな。

やっぱ、これが、私にとってのヨガかもしれない。

 

-----

"LET LOVE BE YOUR PRAYER (Part 5)"

Oshoの文章を、翻訳してみました。 

 

 

子どもの頃から人々は、芽を摘み取られてきた。

ハートに深く根付いていたはずの根が、切り取られた。

頭の方ばかりへと気を取られるようになり、

ハートが何を感じてるかを受け取れない。

だから人はもう長いこと、苦しい。

だから、愛を感じなから生きることができない。

 

その理由はこうだ。

 

愛はリスキー。

愛するとは、危険なこと。

なぜなら愛をコントロールすることなんて、できないのだから。

コントロールできないことは、安全ではない。

愛は自分でどうにかできるものではないのだ。

愛はどう展開するかも分からない。

愛がどんな方向へ向かっていくか、予測なんてできない。

それが何かに到達するのか、不毛であるのかも、誰も知らない。

それは、まったくの暗闇に飛び込むような行為だ。

だけど「根は」、暗闇の中でしか育たない。

 

もしも木の根が暗闇の深い場所へ伸びることを恐れてしまったら、

そして地下深くへ根を下ろさなかったとしたら、

その木は死ぬだろう。

 

暗闇の中へ深く伸びる必要がある。

 

大地の一番深いところで、

水や栄養を与えてくれる、一番深いところまで、行く必要がある。

 

「ハート」とは、あなたの、もっとも暗く深い場所だ。

それは真っ暗な夜みたいなものだ。

それは子宮のようなもの。それがあなたの、大地だ。

 

人は、自分の闇の部分を知ることを恐れる。

いつも光を求めている。

そうすれば、少なくとも、自分がどこにいるかわかるだろう。

そして、何が起こっているかを見ることもできる。

安全で、守られているような気がする。

 

でも、愛をもって生いる時、

それが、どんな可能性を含んでいるのか、

その愛がどんな結果をもたらすのか、

推測や計算をすることはできない。

 

愛は、結果ありきの行為ではない。

 

愛にとって、未来は存在しない。

「いま」しか存在しない。

 

いまに存在することはできても、

次の瞬間は推測することはできない。

 

愛を、計画立てることはできない。

 

社会、文明、文化、教会なんていうものは、

小さな子どもに、もっと理性的になれと教えている。

彼らのエネルギーをハートではなく、頭へ向かわせようとしている。

すると、ハートへ深く入っていくことが難しくなる。

本当は、とてつもない愛をもって、すべての胎児は生まれてくるはずなのに。

人が生まれるのは、愛というエネルギーの源に生まれるはずなのに。

 

子どもは愛に溢れている。

子どもの小さな目を見れば、どれだけの信頼をもって世界を見ているかが伝わってくる。

子どもは何だって信じる、例えば、蛇と遊んだり、誰か知らない人にさえ、ついていったりする。

子どもは危険な火の近くへ行くのも恐れない。

なぜなら、彼らはそれが危険だと「疑う」ことを、まだ学んでいないからだ。

 

だから、大人が「疑いなさい」と教えるのだ。

懐疑心を植え付けるのだ。

論理的になるように、教えるのだ。

そうでないと、生きていけないから、と。

恐れを教え、注意しろ、用心深くなれ、と言い、

その結果、愛の可能性が、失われていく。

 

(by OSHO 翻訳は私)。 

http://www.osho.com/read/featured-books/life-love-laughter/let-love-be-your-prayer-part-5

 

at 16:38, shakti-mandir, ★ プライベート / Private ★

-, -, - -

人生の後半

40歳を過ぎた頃から、死について考えることが多くなった。

 

40歳というと、寿命の半分、またはそれ以上、生きてしまったことになる。

ここから、後半の始まり。

 

どう生きるか、ということを考える時、

死の方向からそれを考えると、

どう生きるかというか、

「どう生きたいか」が、もう少しだけ、明瞭になる。

 

物の考え方、

言動、

生き方、

 

すべて、「癖」のようなものがある。

 

同じパターンを繰り返している。

 

私たちはある程度、

色々なことを自分で選べる社会に住まわせてもらっていながら、

 

自分の体も、精神も、参ってしまうような思考パターンや感情に、

いくつになっても、振り回される。

 

エックハルト・トール(作家)が、

「ペインボディ」という言葉を使っていたことを、思い出す。

 

--- 「痛みを覚えている体」。

 

昔あった傷ついた出来事と似たような出来事が起こったり、

そういった言葉を聞いたり、

そういった場面を見たりすると、

 

思考よりも先に、

体が痛みを思い出して、

感情が沸き上がってくる(それは、怒りだったり、悲しみだったり)。

 

でも、感情ボディ(感情を感じる体)で何が起こっているのか、

私たちは、ほとんどの場合、無意識なので、

 

何かよくわからないけど、イライラしたり、

腹が立ったり、やきもちを焼いたり、

悲しくなったり、鬱々としたりして、

 

そしてそういった感情は往々にして、

「近い存在の人」にぶつけてしまう。

 

その、近い存在の人というのはしかしながら、

自分にとって、大事な人であることが多い。

例えば、

親だったり、子だったり、夫だったり、恋人だったり。

 

頭の中では、

そういった大事な人とは、

健やかな関係を築きたいと思っているはずなのに、

行動が伴わず、

関係を壊してしまうような言動に出る。。。

 

ペインボディから私たちが言動を起こしてしまうと、

その言動を起こしている最中も、

その後も、

 

ものすごく、

体も、心も、

疲労困憊する・・・。

 

そんな経験が、人生の前半には、正直、いっぱいあった。

 

40代になって、人生の後半に入って・・・。

果たしてそんな痛み(感情)を、

この先、

微塵たりとも感じたいだろうかと、自分に聞いてみるのである。

 

もちろん、

感情は、蓋をするべきものだとは思わない。

 

感情は、自分を守るために、そこにあってくれる。

 

悲しみでも、怒りでも、

体は、その感情のエネルギーを使って、

自分が傷つかないように、

これまでに学んできた古いやり方で、

私たちに、警告サインを送っている。

 

だから、その警告サインに従うように、

きっと今までは、

怒りを表現したり、悲しみを表現したりしてきたという人、

たくさんいる、というか、ほとんどが、そんな人たちばかりだ。

 

そして感情は、ものすごいパワーを持って、人を動かす。

人は思考よりも感情によって、行動を起こすことが多いもの。

 

でも今、

ちょっと時間を持つことができるのであれば、

何か、負の感情のようなものが内に宿った時、

それが「ペインボディ」かもしれないと、

その感情を精査する時間を持ってみたい。

 

昔から、古くから、繰り返している痛みには、

なにか共通点がある。

 

自分が、大事にしてもらわなかった経験・・・。

自分には価値がないと言われてきた経験・・・。

何もできないと言われた経験。

捨てられた経験。

 

その時の痛みが、

今の私たちの行動までを、支配しているかもしれない・・・。

 

でも、もしかすると、

もうその痛みを感じていく必要は、ないのかもしれない。

 

「これは、自分のペインボディが反応しているんだ」

と認識するとき、

 

今起こっている出来事と、

感じている感情が、

実は、直接的につながっていないことに、

気がつかされる。

 

感じている感情は昔々に植え付けられたもの。

 

そして、そんな風にそれが、

過去からのペインボディのリアクションなのだとしたら、

 

「今、自分は、そのペインボディから、行動を起こす必要があるだろうか?」

 

と、自分に聞いてみる。

 

今、起こっている出来事が、

昔の痛みを思い出させるような出来事だったとしても、

必ずしも、昔と同じ、だとは限らない。

 

なのに、

昔と同じように行動をしてしまうことで、

昔と同じ結果を、招いてしまう。

(それが、カルマの法則だ)。

 

ペインボディを、無理やりなくすことはできない。

 

でも、「ペインボディなんだね」と、

それが存在することを、認識することはできる。

 

すると、ペンボディはある程度、静かになっていく。

 

そのためには、

自分に時間を与えること、

とりあえず行動することを、やめて、

ひとりで、

文字にしたり、絵にしたりして、

メンタルクレンジングをするのも、良いかもしれない。

 

そして、自分は、ペインボディではない、ということを、もっと知っていく。

それが、マットの外で行う、ヨガでもある。

 

どう生きるか。

それがある程度自分で選べる幸福を、きっと誰でも、無駄にしたくない。

 

もう二度と繰り返したくないような出来事があるのであれば、

どうしてだって、それを繰り返さない。

これは、決断。

人は、決断しないと、やっぱり同じことを、繰り返す・・・。

 

 

ところで、去年のクリスマス、

元夫で今は友達である子どもたちの父親のところへ遊びに行った。

 

彼はカナダ人なのだけれど、

彼のおばさんが、去年、

「安楽死」を選んで亡くなったということを、聞かされた。

 

おばさんは、90代で独身のフレンチカナディアン。

最後までオシャレで、なんでも自分でやっていたのに、

ある時転んでしまって、頸椎を骨折し、首から下が動かなくなったらしい。

 

カナダでは、2016年6月に安楽死が合法化されている。

おばさんは、安楽死を選んだ。

 

安楽死を希望すると、

何度も心理カウンセラーとカウンセリングセッションを受けなければならないらしく、

おばさんも、何度もカウンセリングして、本当に死んでも良いか、話し合った。

 

彼女の意思は強く、やはり安楽死を選んだ。

 

死ぬ前に彼女は、家族のメンバー全員に会って、

ひとりひとりにお別れを告げる。

何日間か、それに時間を費やした。

 

そして、最後の日、マフィンを1つ食べた後、

「さ、マフィンがなくなったわ。もう行く時ね」

と言って、

医者がいくつかの薬を投与し、

この世を去ったらしい。

 

そしてそののちも、世界はそんなに変わらず、

同じように、太陽も登り、月も登る。

私たちが生まれる前も、そんな世界があった。

 

どう生きるか。

どう生きたいか。

時々、考えてみる価値がある。

 

カナダの安楽死についての記事は、以下のリンクで見られます。

https://jp.vice.com/news/canada-legalized-assisted-suicide-but-there-arent-enough-doctors-to-keep-up-with-demand

 

at 21:38, shakti-mandir, ★ プライベート / Private ★

-, -, - -

コンパクトに生きる

「コンパクトに生きる」

これが、居心地良い。

 

ちょっと前に、

「屋根ひとつお茶一杯」という本を読んだ。

(ドミニック・ローホー著)

 

ほとんどのコラムで、

嗚呼、そうだな、そんな風なのが良いな、としっくり来た。

 

特に「小さな家」というアイデアが好き。

 

そして家というのは、

「一生そこで過ごす」ものでは、ないような気もする。

 

「不動産」とは、動かない産物、みたいな意味があって、

「不」という字がついているのかもしれない。

 

でも、そういう、「動かない」概念を、翻しても悪くはない。

 

30代後半、40代という年になってくると、

家族を持ったりして、マイホームを買う人もいる。

 

毎月のローンの支払い、これが何年も続く生活・・・。

 

どれくらいの金額が、どれくらいの年月支払えるだろう・・・。

それを毎月払っていくストレスは、どんなものだろう・・・。

 

そのストレスがあるのであれば、

賃貸で暮らしていく方が良いのだろうか?

 

賃貸だって、毎月家賃を払わなければならない。

しかも、どれだけ家賃を払っても、

その家は自分のものにはならない。

 

今、日本にはたくさん空き家があって、

色々調べていくと、空き家の値段はめちゃ安い。

 

実は過去4年間の間、

趣味の一環で、

数えきれないほどの空き家を見に行っている。

 

その中で一番安かった物件は、なんと、250万円だった。

6-700万で買える家は、結構ある。

もちろん、修繕は必要だし、立地もそれほど良くない場合もある。

でもこれから、人口の減っている日本は、

どんどん、空き家が増えていく。

 

上手に空き家を活用している人たちも、何人か知っている。

 

少しの頭金があったり、

頭金がなかったとしても、

中古の安い家を35年のローンで買えば、

毎月の返済は、家賃よりも安くなる。

 

でも、中古の家の難点は、

もし、その家にもう住みたくなくなったり、

その家が必要ではなくなった時、

「買い手がいないかもしれない」・・・ということ。

 

いらなくなったのに、

売れない家の固定資産税をずっと払っていくなんてしたくない。

まさしく、負の遺産(負動産)になってしまわないように。。。

 

いらなくなったら、買い手がいるかな・・・。

とか、考える。

 

その時は、「土地の値段だけで売れたら良い」。

 

だって、中古の家は、家の値段なんて、もともとついてないものもある。

土地の値段で買える中古の家、ってたくさんある。

 

そこで、今後10年先、20年先、この「土地」は売れるかな・・・。

と考えれば良い。金額は大幅に下がったりしないかな・・・とか。

 

駅に近くて、便利なとこなら、売れるだろうなと推測がつく。

(もちろん、確実なことはわからないけど)

 

そんな感じで、安い家が見つかって、

将来売れることを前提でその家を購入して、

毎月、2-3万円のローンで暮らすことになると、

この金額なら、ストレスも少ないだろう。

家賃と比較すると、1Kでも3万の家賃というところはない。

 

お友達でも、シングルで子育てしながら、ヨガスタジオを経営してたり、

自分で事業をしている子が何人かいる。

 

「家を買う」ということは、

「そこから動けない」からやりたくない、という意見も聞いたりする。

 

でも、家を買うことで身動きができなくなる、と言う考え方を、

一度捨てると良いと思う。

 

また、家に何かを産んでもらうことだって、可能かもしれない。

「どんな地域」に家が建っているかにもよるけれど、

お店ができたり、民泊ができたりする場所・家もある。

 

そして、自分が動きたいのであれば、売ればいい。

 

年を取ったら、どんどん、スケールダウンしていけばいい。

 

で、どんどん、スケールダウンのイメージをするのも、楽しい。

 

カナダの友達は、タイニーハウスに住んでいる。

要するに、キャンピングカーみたいな家だ。

 

最小限にスケールダウンしていくと、そういう家になる。

 

今や、軽トラックサイズのキャンピングカーも日本にはある。

 

だけど、実際にキャンピングカーに住んでた人に聞くと、

結構、不便で長続きしていない。

 

カナダのタイニーハウスに住んでいる友達は、

知り合いの庭にタイニーハウスを置かせてもらっているので、

トイレもシャワーも問題なく設置できる環境にいる。

また、洗濯機も友達の家のを使える。

 

でも、本当に道にキャンピングカーをとめて生活していた人は、

まず、トイレとシャワーが面倒だったと言っている。

 

また、道に車をとめて寝ているので、不審者と間違えられる。

 

そして、冬、寒い。

日本なら夏は死ぬほど暑い!

 

年をとって、小さく、どんどんコンパクトになっていきたいと思うけれど、

できるだけ、居心地良いのが良い。

パートナーがいたら、

お互い気に障らないくらいの多少のスペースが欲しいだろう。

 

こうして、コンパクトに生きることを考えると、

要らないものが、どんどん増える。

 

これも捨てる。あれも捨てる。

だって置き場がないのだから。

 

ヨガも、コンパクトなアクティビィだ。

マットがあれば、どこでもできる。

 

通訳も、自分さえいえれば、どこでもできる仕事。

 

結局、そういう生き方が、心地良い。

 

制限されず、自由に連想していくと、

色んなアイデアと可能性が広がっていく。

アイデア、可能性に関してはコンパクトではなく、

限りなく、壮大でありたい。

 

at 22:40, shakti-mandir, ★ プライベート / Private ★

-, -, - -

お金のこと

むか〜し昔のことです。

まだ20代後半の頃・・・。

3つ年上だった男友達が、

1000万円くらいの貯金があるって、

教えてくれたことがありました。

 

私はその頃、貯金なんてありませんでした!

 

「なんでそんなに貯金するの?」

と、尋ねたのです。

 

「特に理由はないけど、お金があったら、やりたいことができるやん」

 

すでに子持ち、もうすぐ30歳というのに、

精神年齢が今以上に低かった私は、

その回答に、「すごい!」と感動したのです。

 

あれから何年もの月日が経過しましたが、

「お金があったら、やりたいことができる」

という彼の言葉は、今でも時々、脳裏に浮かびます。

 

お金は働いて得るもの。

自分の時間と労力を提供し、その見返りで頂くもの。

 

でも、だからといって、

やりたくないことをしてまでも、

お金を得たいだろうか?

 

その質問への答えが「No」であるのであれば、

やりたくない仕事はせずに、

よって収入はなくなってしまい、

路上生活者になるのである・・・。

 

でも、路上生活者にはなりたくないから、

やりたくない仕事を仕方がなくしている。

 

そんな人たちが、ほとんどではないだろうか。

 

でも、

本当にやりたくないことを、毎日毎日我慢してやり続けることで、

体や心が病気になることもあるかもしれない。

 

この場合、

生きていくために、

やりたくない仕事をして、

そのために病気になって、

命を削るという、パラドックスになる。

 

「パラドックスとは、

正しそうに見える前提と、

打倒に見える推論から、

受け入れがたい結論が得られることを示す言葉」

(ウィキペディア/Wikipedia より引用)

 

この、「やりたくない」という拒否感、拒絶感を、

どの程度感じるかは、

人ぞれぞれのような気がする。

 

どんなことでも、

「ああ、いやだな、でも仕方がないな・・・」

という程度で、ある程度我慢しながらやってける人。

 

反対に、

「こんなの絶対無理!こんな毎日、生きてる意味ない」

というほど、拒否反応が起こる人・・・。

 

仮に誰かが、後者の方であって、

仕事でも人間関係でも、何でも良いけど、

「絶対無理!」と感じるのであれば、

それは、やめたいってことになるのだけれど、

 

それが生活に関わってることなのだとしたら、

その代わりになるものを探して、

どうにか生きていける状況を作り直さなければならなくなる。

 

圧倒的に、後者である状況が多い場合、

周りからは、「わがまま」というレッテルを貼られる可能性もある。

 

でも後者の人たちというのは、

周りに何と言われても、無理なもんは無理なのである。

 

そこで、

この無理をバネに自分の生きる道を開拓する人がいる。

反対に、そこに力強いバネの力がない人もいる・・・。

 

だから、人生は難しい・・・。

 

「これは絶対にやりたくない」という思いと、

「でも、生きていかなければならないし」という思い。

 

絶対に絶対にやりたくないっていうのが頂点に達した時・・・。

それでも生きてくにはどにかせなあかん!

となった時・・・。

 

むか〜し昔の私は、仕事もなく、小さな子どもを抱えていて、

どうしても収入が得たいという状況になったことがありました。

 

手っ取り早く、儲かる仕事と考え、公募に応募したことがある(笑)。

 

前もブログに書いたけれど、

2003年(だったと思う)、

とある文学賞に応募するため、小説を書きました。

 

賞金が200万円だった。

200万あったら、まあ、どうにかなるかって。

お友達の1000万からは程遠かったけど。

 

2007名の応募者から、7名の候補が選ばれ、そこに私も入っていた。

 

さあ、そこから最終選考までの数日間、

毎日通った神社!(笑)

 

「文学賞が取れますように・・・。200万円、南無阿弥陀仏(神社だから違う!)」

 

もちろん、文学賞は取れず(「もちろん」というのは、適切がどうか分からない表現ですが)。

 

トボトボ・・・という表現がぴったり似合う足取りで、最終選考のホテルを後にしました。

 

だけどその帰り道、

古ぼけた本屋で見つけた仏教の本が、

私の人生をちょっと変えてくれた。

 

落ち込んだ気持ちと・・・。

もっと、謙虚にならないといけないということを、

切なく学びました。

 

とは言いつつも、

いくら年をとっても、

「あかん、これ、やりたくない!」と思うことは、

何がなんでも、やらずに済むようにするという気合い(笑)は、相変わらず・・・。

 

だけど「それならどうするか」と時間をかけて考えることや、

コツコツと、何かを培うことが、

前よりも少し、できるようになった。

 

No pain no gain という言葉があって、

「痛みがなければ得るものはない」というような意味。

 

でも私は、この言葉もあまり好きではない。

 

誰も痛い思いなんて、したいわけないし、

 

忍耐とか、努力って言葉は、大嫌い。

(やっぱり謙虚になかなかなれないのかな・・・)。

 

何かやるなら、楽しくやりたい。

楽しいから、頑張れる。

頑張ったから、楽しくなる、こともあるかもしれないけど、

頑張っても忍耐努力しても、苦しいばかりじゃあね。

苦しみに美徳を感じるってことは、私にはない。

 

いつもブログが長いって言われる。(笑)。

 

今日も長くなってしまっているけど。

 

「これ、絶対にやりたくない」と思った時。

それが生活に関わることならば、

「これやめて、どうやって生きていくんだよ」と考えてみる。

 

1000万円あったとしても、収入なかったら、そんなお金、すぐになくなる。

 

でも、無理なことをして命を減らすのはイヤ・・・・。

どうやったら、生活に困らず生きていけるだろう。

知恵を絞るわけなのです。

 

頭悪いし元金ないから、株式投資や投資信託なんてできない。

で、結局いつもたどり着くところは、「自己投資」。

 

自分に投資しよう。

自分に投資して、自分が実のなる木となろう。

だけどそうすると、自分という木が腐ったら終わりだ。

だったら、心の体も、できるだけ腐らないような生き方をしよう。

 

ヨガのクラスの中で、時々生徒さんに聞くことがある。

「夢はなんですか?」

 

そして、「先生の夢は?」って聞き返される。

 

夢? 特にない。

 

でも、たまに、

今よりもさらにもっと自由でいたいなと思う。

そして、何年も前の友達が言った言葉を思い出す。

「お金があったら、やりたいことができる」。

 

これは守銭奴であることとはまったく違う。

 

自分という木に実がなって、できれば周りも豊かになる。

周りも豊かになって、自分にもその恩恵がまわってくる。

そのために必要なもののひとつがお金だから、

やっぱり、大事な存在。

 

お金について考えることも、

お金が欲しいと思うことも、

お金を好きでいることも、

全然、悪いことではない。

 

 

at 14:55, shakti-mandir, ★ プライベート / Private ★

-, -, - -

スタジオからのお知らせ

2018年前半に開催するワークショップ、トレーニングの日程に変更が出ました。

 

以下が最新情報です。

 

2018年2月 ◎

 

陰ヨガの練習と指導法

2018年2月2日(金)〜 4日(日)
@9:30-16:30
実践18時間 + 宿題2時間 トータル20時間
(ランチ1時間休憩)

------------------------------

 

中級レベルのシークエンス with Daniel Clement

2月10(土)、11日(日)、12日(月・祝)@ 9:30-11:30

2/10(土)- ヘッドスタンド
2/11(日)- バックベンド
2/12(月・祝)- ねじりと前屈

------------------------------

 

陰ヨガが自分でできるようになるためのワークショップ

2018年2月24日(土)
@9:30 〜 16:30 (ランチ1時間休憩) トータル6時間

------------------------------

 

 

2018年3月 ◎

 

今年こそはヨガデビュー

2018年3月17日(土)@ 10:00 〜 16:00

3月17日(土)は新月です。新月はお願い事をするのに最適なタイミングだそうです。ヨガはありのままの自分と親密になること。自分の心や体に触れ合い、一緒に新月に、祈りを託してみましょう。マントラを唱えます。

------------------------------

 

ヨガ指導者のためのスキルアップコース

Part 1 「様々なボディへの指導法」
    2018年3月8日(木)@ 9:30 – 15:30 (ランチ休憩 1時間)

Part 2 「シークエンス作り」
    2018年3月9日(金)@ 9:30 – 15:30 (ランチ休憩 1時間)

 

※ Part 1, Part 2 のどちらかのみ受講することも可能です。

------------------------------

 

 

2018年5月には、ヨガティーチャートレーニング基礎コース(30時間)も開催予定です♡

 

お問合せ:shakti.mandir.yoga@gmail.com

 

 

at 21:24, shakti-mandir, 1. スタジオお知らせ/ Studio Announce

-, -, - -

思惑通りには、いきません

誰かを助けたい、

良く「してあげたい」と思う時、

 

どうしたらそれが可能かと、

色々考えたり、

案を練ったり・・・。

様々な手法について、学んだり・・・。

 

そして"セラピスト"は、

「これなら、きっと助けになるはず」

と、その人のための、その日のメニューを考える。

 

ヨガであれば、

ポーズの種類ややり方かもしれないし、

呼吸法かもしれないし、

瞑想かもしれません。

 

だけどそこに、

セラピーを提供する側の「思惑」があればあるほど、

思惑通りには、いかない。

 

それは、

与える側のナルシシズムで終わってしまう・・・。

 

特に、特に、相手が子どもの場合は、

特に彼らには、それがよく、伝わってしまう。

 

彼らはそうすると、

扉を閉ざしてしまうのです。

 

その扉は目に見えないけれど、

扉が閉まる音さえもが、聞こえてきそうだ。

 

相手が子どもでなくても、

関係がセラピストとクライアントという間柄でなくても・・・。

 

相手を「変えたい」、

「変えた方が良い」、

と勝手に思い込み、

 

そのために、

自分の方が良く知っていると思い込み、

何かを相手にして「あげる」ような時、

「(良くなるように)変えてあげたい」という思惑通りには、いきません。

 

それは何か、悲しい結果なのです。

 

変容は、

起こすのではなく、「起こる」もの。

ましてや、

誰かに「起こしてもらう」ものでもない。

 

相手が私たちを、

彼らの世界に招いてくれた時、

それは少しの信頼が生まれた印かもしれない。

 

信頼してくれて、ありがとう。

 

そしてこちらからも、

「信頼」をしていると、伝えたい。

「心配」ではなく、信頼。

そのままであっても良いという安心。

 

at 22:21, shakti-mandir, 4. ヨガの効果 / Benefit from Yoga

-, -, - -

2月以降のクラスのお知らせ

「もう、やーめた」と思うこと、多し今日この頃。


焦ったり慌てたり、心配したりすることって、

どこで感じるかっていうと、

からだ、で感じる。


感情はからだのどっかに宿る。

筋肉とか、臓器とか。

頭や言葉で説明するより、

からだの感覚の方が、よっぽど早くシグナルを送ってくる。


音楽や匂いが、

ある特定のメッセージを言葉よりも早く伝えるのと、

それはちょっと、似ている。


あ、これ無理って感じるような、からだからのシグナルが来るようなことは、

だいたい、やめといた方が良い。


きっともっと楽なやり方や方向があるよって、

思える心の余裕が欲しい。


それには何が必要かというと、、、


まずは休息。

そして、時間。

時間の余裕。


それがないと、からだのシグナルを聞き逃す。

だから休むことは、サボってることではない。


日本人のみんな、もっとどんどん、休みを持とう。


たとえどんなに良くなりたいという気持ちがあっても、

「禁止令」は、苦しいし、必ず反動がある。

からだや心に悪いから、〜〜しちゃダメ!と自分に何かを禁止しても、

ほとんど、成功に終わることはなく、

疲れるのみならず、

リバウンドで、しちゃダメなことを、結局大いにやってしまうってことになりがち。


だから、無理して、ヤマ・ニヤマ(ヨガ哲学)みたいな、

言葉が先にありき、な、道徳観に縛られることはやめた方がいい。


ゆっくり休んで、美味しい物を、おいし〜って食べて、

お風呂に入って休み、

自分ができること、自分の身の丈に合ったことを、

居心地良いと思える程度にやりながら、楽に生きていこう。

それを自分に行うと、どんどん他者にも、優しくなれるから。


----

2月以降のクラスのお知らせ。


2月24日(土) 陰ヨガが自分でできるようになるための1日ワークショップを開催します。

http://shakti-mandir.com/2018/02/diyyinyoga/ 


また、3月と4月は、タイマッサージが1000円オフで受けられますよ!

セッション予約は2ヶ月先まで満員になりがちですので、早めにお問い合わせくださいね。

http://shakti-mandir.com/specialclass/ 


ここ何年か、多くのプライベートセッションをしてきました。

たくさんの方々の、様々な人生の旅路を少しでも共に歩んだり、

そこからどんどん変容されていく姿を見届けさせて頂けること、

私の方が、感謝の気持ちでいっぱいです。


プライベートセッションは、お話だけで終わることも結構あります。

そんな日はヨガをしなきゃって思うこともなく、

ただ共に同じスペースにありながら、

お互いを通して、

何かの見通しをつけていくことが、道、だと感じています。



at 22:54, shakti-mandir, 1. スタジオお知らせ/ Studio Announce

-, -, - -

2018年は"ma-ika(マ・イカ)"瞑想

Happy New Year!

 

皆さん、明けましておめでとうございます。

私の新年は、ゆっくり明けました。。。

まだ今でも「明けたばかり」な感じがしますが、

もう今日は、1月5日です。

 

クリスマス休暇中、カナダの島にいました。

1月2日にカナダから日本へ帰国しましたが、

2日は満月だったのですね。

大きなまるい月が、飛行機から見えました。

 

ところで、

日本では、ニューイヤーのカードなんかに、

「A Happy New Year」

と書いてあるものがありますが、

これは、正しい英語ではありません。

 

挨拶で言うのであれば、

「Happy New Year」が正しいのです。

 

なんで?

 

だって、「誕生日おめでとう」だって、

A Happy Birthday

とは言わないでしょ?

 

Happy New Year に、A をつけたい場合、

"Have a happy new year" みたいに、文章にする必要があるのですね。

 

私も時々、英語でも日本語でも、色んな間違えをします。

特に漢字がとても苦手!

 

今まで通訳しながら、

同時にホワイトボードに漢字を書くことが何度かありましたが、

大勢の前で何度漢字を間違えたことか。

間違えると思うと、血圧が上がる。

ドキドキして、赤面したり。

完璧にやりたいと思えば思うほど、間違えたり!

 

今年はゆっくり明けた新年でしたが、

年末から、練習している瞑想があります。

 

それは、ma-ikaマントラ瞑想。

「ma-ika(マ・イカ)」 と頭で唱えながら、行う瞑想です。

 

これは、サンスクリット語ではありません。

なんか英語やカタカナで書くと、それっぽく聞こえるけど、

実はこれ、

「ま、いっか!」と言う意味です。

もちろん自家製のマントラ瞑想です。

神聖? ないでしょ、神聖さは(笑)。

 

「ま、いっか」マントラ瞑想は、

瞑想を終えた後も、

日常生活でも唱え続けることができます。

是非、練習してみてください。

きっと、人生が楽になる、かもしれません。

 

今年も皆さん、素敵な一年を!

私の2018年は「OPENスペース」で、

流れてくるものを、好奇心を持って楽しみにしています★

at 21:45, shakti-mandir, 1. スタジオお知らせ/ Studio Announce

-, -, - -